絵画修復士への道のり〜修復学校編
私が大学卒業後に入学したのは東京にある、芸術修復学院パラッツォスピネッリです。本校がフィレンツェにあり、東京は分校として機能していました。私が専攻した絵画修復コースはキャンバス画と板絵の修復について学ぶ三年制のコースで、カリキュラムとしては一年目を東京、二、三年目をフィレンツェにある本校で学ぶというものでした。
以下は三年間の実際の学費です。(入学年度によって異なる可能性があります)
一年次(日本):550,000 円+ 50,000円(入学費)
二年次(フィレンツェ):7.990 ユーロ
三年次(フィレンツェ):7.520 ユーロ+900 ユーロ(最終試験代)
一年目は期間としては4月から8月までの4ヶ月間でしたが、東京の小さなアパートの一室で、修復技術に加えて、デッサンや修復概論、化学など基本的なことを学びました。それと同時にイタリア語ももちろん勉強しました。
9月にフィレンツェへ到着し、本校の授業が始まるまで三週間ほど語学学校に通いました。
10月、本校での最初の授業は忘れもしない、化学の授業でした。ほとんど何も聞き取れず、これではダメだと思いイタリア語を猛勉強するようなりました。イタリア語の勉強方法や、上達までの経緯はまた別の機会に書きます。
化学の他に、美観修復、保存修復、美術史、デッサンなどの授業がありました。美観修復は主に溶剤を使った画面洗浄や補彩の実技授業、保存修復は裏打ちなどの構造修復の実技授業で、私はこの二つの授業が大好きでした。本校にはたくさんのキャンバス画や板絵があり、実際にそれらを使って授業をするので失敗はできないという緊張もまた学ぶことができました。
二年次と三年次にはインターンシップもカリキュラムに含まれていて、私は二年次のインターンシップでフィレンツェの小さな工房に受け入れてもらいました。
一人の女性の修復士が持つ工房で、小さな工房に所狭しと絵が置かれていました。二、三ヶ月間私はその修復士と共に、教会の中にある大きなキャンバス画の修復など様々な経験をしました。
三年次のインターンシップでは、私はフィレンツェを出て、ボローニャという町で受け入れ先を探しました。そこで一人の女性の修復士が持つ工房で数ヶ月受け入れてもらったあと、修復士がたくさん働く大きな工房に受け入れてもらい、そこでは現代アートの修復なども経験しました。
インターンシップを行いながら三年生は卒業論文も準備をします。全ての授業と必要時間分のインターンシップを終え、最終試験と論文発表に臨みました。
試験は実技試験と修復計画書の作成試験でした。実技試験は実際の絵に補彩をして、修復計画書はその日目の前に出される絵についてその場で考え作成するというものです。無事時間を通過し、論文発表も難なくこなせば、トスカーナ州公認の修復技術士資格が与えられます。
パラッツォスピネッリの三年間は、大まかにはこのように進み、そしてあっという間に過ぎていきます。
次回は卒業後の私の進路について。
今日のイタリア語!
Chimica(キミカ)
化学
Storia dell’arte (ストーリアデッラルテ)
美術史
試験は最終試験だけでなく定期テストももちろんあります。特にストーリアデッラルテの試験は範囲が広くとても大変でした…。でも授業はたくさんの画家について深く学ぶことができてとても面白かったです。