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我が為に許す

バチェラー・ジャパンを見ていて、「自分の為に許す」という表現が出てきた。
うん、その言葉、前に『鏡の法則』で読んだ気がする。

最近の私は、長い間忘れていた「許せない」出来事をふと思い出すことがあり、でもその気持ちのままは苦しいので「許したい」と思い、「許す」ために試んでいるところ。

あくまで、マイペースに。

なので、このタイミングて、「許す」ことに関して、自分の経験も元に、考えをまとめてみた。

許すのは相手の為?

「許せない」と感じる人や出来事を許すことのメリット。
それは、相手の為ではなく、自分の為の決断であり行為だから。

自分を縛り付けている憎しみや悲しみ、怒りなどの重苦しいエネルギーから解放してあげることができるから。

許すためには?

まずは「許せない」人や出来事へのネガティブな感情を出し切る、感じ切る。

悲しかった自分、傷ついた自分、怒れる自分に、とにかく寄り添ってあげる。

その時の気持ちを言語化して紙に書いたり、口に出したりするとより効果的。

一回向き合っただけでは足りないことも多いから、焦らずじっくり、でも諦めなくてもいい。

時間がかかってもいいから、何度かその人や出来事と向き合ってみる。

それは、とても辛いことかもしれない。

そんな場合は、信頼できる人に聴いてもらうといい。

カウンセリングだって活用していいし、電話やメール、LINEなどで話を聴いてくれるサービスもたくさん存在する。
私もこれまで、いろんな人達にたくさんお世話になってきた。

知らない人のほうが話しやすいということもあるから、そこは最初のちょっとの勇気だけ出して、その後の身を委ねる安心を味わってみるのもいい。

ただ「もう昔のことだし、許そう」「あの時は仕方なかった」と頭で考えてみても、心がついてきてないと許せないものなので、
この感情の感じ切り無しには話が進まない。

感情を出して感じることは排泄と同じ、必要なこと。

許さないでいるメリット

「許さない」「許せない」という感情は、なかなかエネルギーを必要とするもの。

それでも、それを選択しているのなら、実は、許さないでいることにメリットを感じているから。

顕在意識では「えー!?そうかなぁ?」と思ったとしても、潜在意識レベルでは、そのメリットを握りしめているなんてことが。

例えば、「許さないことで強くいられる(気がする)」とか。

その背景には、「許してしまったら、相手が調子に乗ってもっと酷いことをするのではないか?」という思考があるかもしれないし、
許さないからこそ、その怒りなどの感情を原動力に、活発に行動を起こしたり、気丈に振る舞っていられるのかもしれない。

無理はしなくていい

気をつけたいのは、許したいけどなかなか許せなくて、自分に無理を強いること。

ホントはまだ許せない気持ちがくすぶっているのに、無理して許したふりをしたり、寛容でいようとしなくてもいいのだ。

その許せない出来事があった時、自分の意思に関わらず、許せないけれど、ただ受け止めるしかなかったのだと思う。

時間が経った今は、当時よりは客観的に冷静に、その出来事を捉えることができるかもしれない。

それでも、やっぱりまだ許せそうにないと思うことだってある。

1つの方法は、許せる時を待てばいい、というもの。
いつか、そうできる時はきっと来るはずだから。

普段は「許せない」人や出来事のことはなるべく思い出さないようにするのも、やはり自分を守る方法。

それができる状況なら、それでもいい。
「許すか許さないか」にこだわりすぎず、そのくらいのスタンスでいれば、ちょうどいいタイミングで、許すチャンスはやってくる。

あえて「許さない」を選ぶ時

もう1つの方法は、前述の許さないメリットをあえて活用するというもの。

例えば、個人的な出来事でない、戦争や差別、犯罪などに関して、「許せない」と思う気持ちは、多かれ少なかれある人が多いかと思う。

そういったことに関しては、「許してはいけない」という強い気持ちを持つことで、自分の理想や周りの人の幸せを追求していくことだってできる。

厳密に言えば、戦争や差別や犯罪によって個人的に「許せない」と感じる人や出来事があるのか、
それとも、戦争や差別や犯罪という概念や構造そのものを「許せない」と感じるのかの違いによると思う。

社会的な活動家の人達なんかは、そういったエネルギーによって突き動かされているように見える人もいる。

でも私は正直、疲れないのかなぁ?なんて思ったりもする。
理想や平和の為とはいえ、許さない気持ちを持ち続けて悪と闘い続けるのには、きっと相当なエネルギーがいる。
私にはできないやり方だ。

こういったことが過去に自分の身に全くふりかかっていない訳ではないから、それに対する"アクションの違い=人それぞれの強みの違い"に過ぎないんだと思う。
 
でも、それを使命として生きる人もいるし、使命でなくても、長い人生の中でそういった活動を行う場合はある。

だから、「許さない」を選んだら、そんな勇気ある自分を褒め称え、労い続けることも必要なのではないだろうか。

ここまで考えると、こういった「許さない」選択の場合も、結局は自分の為になるのかも、と思う。

まとめ

最近の私のように、意識したわけじゃないのに、昔の許しがたい出来事を思い出して辛くなっている人がいるとしたら、
それはきっと自分を解放してあげるチャンスだよ〜と言いたい。

でも 、今はまだそれがうまくできない!ってなったとしても大丈夫。
気長に時機を待ったり、他の方法を考えたりすればいいから。

そんな想いを込めて、まとめとします。
読んでくれてありがとう。

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