身体への感謝と、たくさんの命への感謝

赤ちゃんを授かるまでも奇跡だが、無事に生まれるまでにも、さまざまな壁がある。

私の場合、第1子は、妊娠初期に出血があり、切迫流産の診断を受けた。

第2子は、胎児の大きさが小さいとかで、大学病院で検査を受けた。

そして第3子は、妊娠中期に胎児不整脈が見つかり、後期まで続いていた。

しかし、どの子も結果として、元気な産声をあげてくれたのは、本当にありがたい奇跡なのだが。

身体の持つ力

第3子の自宅出産という経験は、自分や子の身体を信じること、その力に感謝することが大きなテーマだった。

自分の身体とは言っても、心臓を動かそうと思って動かしているのではなく、
お願いもしなくても、感謝をしなくても、
母の子宮に宿った時から一時も休むことなく、鼓動を打ち続けてくれている。

10ヶ月という妊娠期間中も、勝手に身体が赤ちゃんのために栄養を送ってくれたり、育ててくれる。

普段から、身体のまるで所有者、持ち主であるかのように振る舞う私たちは、

やれツワリがしんどいだの
やれマイナートラブルがあるだの
(いや、これらは実際かーなーりしんどいのは事実!)

身体がしてくれていること(=体内で自分とは別の命を育んでいること)への感謝に目を向けるよりも、自分が苦痛を感じる不調に不満をこぼしがちだ。

どうしても、子どもが無事に生まれてきてくれるのか?
というところが心配で、ナイーブになってしまうというホルモンの仕業もあるのかもしれないが。

でも、ホルモンを出しているのだって身体な訳で、それさえもベストな意味があるはず。

身体はいつも、最善のことをしてくれるという。
不調に思える症状も、もっと悪くなることを避ける手段だったり、良くなる過程であったり、大切なことに気づかせてくれる。

あの辛すぎるつわりも、身体の中で弱っている臓器を教えて正すためのお知らせなのかもしれない。
(つわりは、精神的な側面の影響も受けると思うけど)

妊娠中の不平不満や心配、恐れなどを全て受け入れた時、本当にリラックスできて

上映会で見たような、オーガズミックバース=気持ちの良いお産ができるのだろうか?

多くの命に支えられて1つの命が生まれる

また、命の誕生、はぐくみに関して、もう一つ大事なことを実感した。

それは、当たり前のようで大変ありがたいことであり、素晴らしいこと。

たった1つの小さな命の誕生のために
たくさんの命が支えてくれる
ということ。

分かりやすいところで言えば

自宅出産のために、毎回の検診も訪問してくれるメインの助産師さんはもちろん

血液検査などをしてくれる個人のクリニックの先生、看護師さん、受付スタッフの方々。

胎児不整脈のために、子ども病院に転院となった際にお世話になった先生たち、スタッフさんたち。

医師や助産師さんの説明や、自分で調べた情報によると、
胎児不整脈は大概の場合、出産前に消滅するか、生まれてから短期間のうちに消滅するらしかった。

それでも、医師は、考えられるリスクに対しては、最大の準備をしようとしてくれるため、その説明が逆に私を心配にさせることがあった。

しかも、思ったより、不整脈が長期間続いていたため、より不安になっていたことは否めない。

赤ちゃんが無事であってほしいという願いはもちろん、私には、初めて自分で選んだお産(=リラックスした状況でのお産)をしたいという願いがあった。

36週目ころだったか、お産場所やお産スタイルに関しては、自分なりにじっくり向き合ったため、悪く言えば諦め、良く言えば受け入れられるようになっていた。

赤ちゃんは、生命力の強さを感じていたので、きっと、大丈夫だろうと、夫の支えもあって、そう思う気持ちを強く持とうとしていた。

そして、超音波検査の際

「今日は不整脈、減ってるといいな」と思いながらも
あまりそのことに意識を集中しないように
深呼吸で心を穏やかにしようとしてた時

超音波の画面を見ながら、ふと、気付いた。

そこには何桁か数えられないほどの、我が子の患者番号が表示されており。

これまで、それほど多くの命と触れ合ってきた歴史のある病院ということ

一人一人ときっと真剣に向き合ってきた医師や看護師、助産師、スタッフたち。

そして医師や患者を支える機械なども
それを作るためには、何百人、何千人単位の人が関わっているはずで。

そんなことをボーっと考えていたら
すごく感謝がわいてきて
驚くほど穏やかな精神状態になっていた。

そして、不整脈は消えていた。

協力する精子たちが本来あるべき姿?

今、これを書いていても、また思いついたことが。

そもそも、いのちが誕生するために、まずはたくさんの精子が卵子に向かって泳ぐ。

これまで、たくさんの精子が競争をして、強い1つの精子だけが卵子の中まで到達するような学説が一般的だったが

実は、精子たちは競争ではなく協力して、代表の1つの精子を卵子に送り込むことが分かったらしい。

だから、子宮内に命が誕生する前からも
多くの命(になるはずだった精子)に応援のパワーをもらっているのではないだろうか?

そして、この、たくさんのものが協力してひとつのものを生み出すような姿は、私たち人間が本来あるべき姿なのではないかとも思う。

感謝が足りなかった自分

なるべく自然なお産がしたい
なるべくリラックスした状態で命の誕生を迎えたい

という想いから
運良く、自宅出産を扱ってくれる、とても素敵な助産師さんやその仲間達と出会い

たいへんな恵みを享受させて頂いているのに
それを当たり前の権利であるかのように振る舞う自分のおこがましさ。

(※もちろん、全ての妊婦さんが、自分でお産の仕方を最大限選ぶ権利はあると思う。

そこがないがしろにされがちな現代産科医療の実態は、それが当然のような雰囲気の中で、妊婦さん自身も気づかずにいることが多いと感じる。)

それを赤ちゃんは、胎児不整脈という形で教えてくれた気がした。

順調にいかないことで、さらに多くの方たちのサポートを受けさせて頂くことになり

自宅出産や助産院での出産など、貴重で、ある意味贅沢なお産ができるのは
本当にすごいことで
決して自分ひとりの力ではできないことだと。

画面の向こうのあなたに届いてほしい、感謝の気持ち。 ラッキーとハッピーは、優しさとなって循環しますね^^