豊かな感情でいると、使命がわかる
今日も「豊かやなぁ」と感じて生きています。
本日のお話は、スピリチュアルな話に興味が無い人はスルーしてもらえばよいかと思います。
唐突何ですか、昨日、不意に思い出したんです。
自分の「前世」を。
もちろん、それを証明する手段は無いし、ただの妄想と言われればそれまでかもしれません。
でもですね、次から次へと脳裏に映像が浮かんできて、
「そうそう!あの時そうだった!」って感情が湧き出てきたんですよね。
だから本当かも。って思ったわけです。
では、どんな前世かというと、こんな感じ。
私は、大東亜戦争を戦う日本軍の隊員として、パラオのペリリュー島に上陸していた。
「ペリリュー島の戦い」は、太平洋における日米の戦闘の中でも屈指の激戦が繰り広げられたとして有名です。その戦いで散った、約1万人の日本兵のうちの一人が、私です。
私は、パラオの美しく青い空と海、白い海岸で戦い、米軍の射撃を頸部に受け、戦死しました。
戦闘の前に親しくなった、パラオの現地住民と現地語を交えて会話をしたり、日本語を教えたりして楽しんだこと、
日本に残してきた妻との間に生まれてくるはずだった子供と会えなくなることがわかり、心残りであったことが、死の間際に強く感じていました。
「日本男児として一所懸命に戰います」という決意はありましたが、「天皇陛下万歳」とは思わなかったようです。
「天皇陛下は神などではなく、一人の人間であることを私は知っていましたし、その時の日本がおかれた状況、その責任をすべて背負い込んでおられた陛下には、臣民に対して無用な心配はかけて頂かなくて良いですよ。」
そのように感じていました。
そんな前世でやり残したことを、今生での使命としてやるべきだと感じています。
具体的には、日本とパラオとの架け橋になること。
書店のトラベル系雑誌のコーナーに行っても、グアムやサイパンへのガイドブックはたくさんあっても、パラオのものはほとんどないのが現状です。
国旗を日本の日の丸に似せるほど親日国家なのに、不思議です。これをまずは正さないといけません。
パラオの現地語であるパラオ語を覚えたり、パラオの歴史や現在の情報を、多くの日本人に知ってもらうこと、これこそが私の使命です。
ではまた。