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あえて母の日に書きます。

今日は母の日です。

正直に書きますが、
毒親育ちの私は夫と結婚するまでは、
母の日は大嫌いな日でした。

日頃、自分を傷つけてくるような親に
感謝の気持ちは全く湧いてこず、
幼稚園で行われる母の日などの行事ごとは
心を殺して精一杯『良い娘』を演じる日でした。

子どもって結構賢くて、
こんな4~5歳でも親や先生が喜ぶような
パフォーマンスをそつなく出来るものなのです。

実際、当時の先生や幼稚園のママ友は
私の家が機能不全家族だったなんて
気づかなかったと思います。

ママの似顔絵、
ママへの感謝の作文の音読
(すらすら読んだらなんか可愛げないと思われるから、
若干たどたどしく読んで、ちょっと泣いたりもしてみるか、と
戦略的にやっていました)
に涙ぐむ保護者の方や、先生方。

どんなに褒められても
何もうれしくなくて、

(今回も問題なく終わってほっとした)
(これで機嫌取れたし、しばらくは大丈夫でしょう)
としか思えませんでした。
幼稚園児なのに、まるでサラリーマンです。

優等生だ、模範的だと
常に先生から褒められていた
自分の迫真の演技力に自画自賛していました。
そして心のどこかでずっと思っていました。

大人って、バカだなって。
子どもはあなた方が思うほど、
ピュアでもなんでもないよって。

あなた方大人たちが求めている
子どもってこんな感じでしょ?

こうしておけば、いいんでしょ?
って。

なかなか生意気というか
スレまくった嫌な子どもだったと思います。

でも当時は、
先生や友達に褒められることよりも、
親の機嫌をとって家庭内を平和に保つことのほうが
私にとってずっとずっと大事だったのです。

大人になった今も変わらず、
実家を出るまでは
家庭内では平和の為に形式的にお祝いをしていました。

もっと言ってしまえば、
母の日には父から
父の日には母から
『明日は母(父)の日なんだから、ちゃんと準備をしておけ』と
毎年、入念な根回しが行われていました。

何も言わなければ、私は本当に何もやらないと、
何となく気づいていたのかもしれません。

こういうのって、
子供が自発的にやるものでしょうにと思ったのが本音ではあります。

なぜ、普段から虐待されている相手に
感謝を示さなければならないのかと。

そしてこの毒親達の不可解なところは
同じ子どもの弟(長男)には
何も要求しないことです。

なかなかの毒っぷりなので
この弟のことについては、
今後どこかのタイミングで
書いていきたいと思います。

というわけで、
まるで嫌いなクライアントの接待のような
忖度まみれの母の日のお祝いは、
実家を出るまで義理と意地とで続けてきましたが、
2年前にやっと解放されたとき
憑き物が落ちたような気持ちになりました。

前置きがつい長くなりましたが、
実家を出てからは、
母の日を率先してお祝いしています。

夫の母、私にとっては義理の母のお祝いです。

珍しいと思われるかもしれませんが
私は義母が大好きで、
自分の本当の母親だと思っています。

それくらい尊敬しているし、
大好きです。

義母については
今後、別の記事にて詳しく書いていきたいと思います。

あと10分もしたら夫の仕事が終わるので、
今日は大好きな義母を思いながら、
夫と母の日のケーキを食べたいと思います。




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