映画『余命10年』を見て
大切なことは、ひとつだけ。
自分が感じたことを、伝えること。
感情的になることは、自分をさらけ出すこと。
自分を愛することは、こころのままに動くこと。
どんな表現でも手段でも良い。
自分の感じたままに、動いて、表現して、誰かの目につくようにすること。
文章でも、絵でも、立体でも、舞踊でも、音楽でも、なんでも良い。
・・・
この小説に会うまでは、先が長くない人が描いた小説を見かけるたび、
「同情求めてるんじゃないの、こういうのって」と冷めていた自分がいた。
それと同時に、自分の気持ちや感情をありのままに形にできない自分にいら立ってもいた。
それが何にもならないことを知っていたし、その術もよくわからない。
自分の中にいる子どもの自分が、「ふん!」とそっぽをむいている。
現実はうまくいかない。
そっぽを向いても、誰も自分の望むように導いてはくれない。
世の中を冷めた目で見ていたのは、自分が自分の人生を冷めた目で見ていたからだろう。
でも、どうやったら自分の思うように、表現ができて、人に伝えられるのか?
すごくもどかしい問題だと思う。
・・・
好きなものを好きなだけつくることは、人に自分の思い通りに伝えることよりずっと簡単だと感じる。
でも、私の終着点は、誰かに伝わって、その人の気持ちをほぐしたり、穏やかにすることにつながっている。
すると、考えてもキリがないのだ。
結局、私はだれの心にも響かすことのできない表現しかできない、と
極端な考えに陥ってしまう。
誰かの心を癒す表現というのは、実は自分自身の心を癒すということにつながっているのかもしれないとも思った。
結局私は、自分をたくさん知りたいし、自分を応援したいのかもしれない。
いつまでも、自己肯定感の低い自分でいたくないと思ったのかもしれない。
でも、人は感情を持つ生き物だ。
良い日もあれば、良くない日もある。
計画通りに進められた日もあれば、全くの想定外の出来事に巻き込まれてしまう日もある。
わたしは、良い日もそうでない日もどっちも「あ~面白い!」と言って笑っていたいのだ。
思い通りにならなくても、「だから人生って面白いんだよね!」と笑顔でいたい。
わたしの人生、この世の中、いつどうなるのかわからない。
そんな時代に生きる自分の人生を、だまされたと思って思いっきり面白がってみたい。
そして、やりたいことはまだまだたくさん残っている。
何事にも恐れずに、挑戦し続けたい。そう勇気づけてくれた映画だった。
(ここまで、お付き合いくださり、ありがとうございました。)
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