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性の認識、距離の取り方の変遷

Xジェンダー、サピオセクシュアル、セクシュアルオリエンテーションは男性、自分に男性器があったらいいなと思うけど増設するほどではない

最近はこんな感じでおちついている。


私は身体の性別は女として生まれた。

親からは、「女らしくあれ」というメッセージを受けて育った。

具体的には、食器洗いを水を節約しながらしていたら
「よいお嫁さんになる」とほめられ、

膝を開いて座っていたら、
「女の子がそんな座り方したらいけません」
と注意された。


母は父のためだけに生きているように、私の眼には見えた。
父の好物の食べ物を用意し、父が望むことを叶えようとし、父が落ち込んでいたら慰め、父が酒に溺れていたら酒を差し出し、食事も父が先で自分はのこりものでよい、彼女はそういう生活習慣を父に提供してきた。

幼心に、私の眼に母は幸せそうに見えなかった。
明らかに、一段下のものとして扱われていたからだ。
父は家の中でトップに君臨し、母に対して、「お前は俺の下」とことあるごとに念押しをしていた。今思うと洗脳。

そんな彼らの姿を見て、「私は絶対に結婚はしない」と親に言っていたらしい。

母は一生懸命生きている自分を否定されたように感じただろうなと思う。



色は、パステルカラー、エメラルドグリーン、地中海の海のような青が好き。明度と彩度の高い色に惹かれる。

小学生の頃、ピンクのふりふりのジャージ生地の上下を着ていたクラスメートを見て、
「可愛さを表現したいという気持ちはうかがえるが、なんか美しくない…」と感じていた。

自分の中で、「これは美しい」「これは美しくない」とかなり明確な基準があって、そこからずれているものを着させられそうになると全力で抵抗した。


成育家族のなかで安心できる感覚がなく、いつも母に認められたい、愛されたいと思っていた。

思春期を迎えるころには、異性から性的な対象として見られることが増えた。私にとっては渡りに船で、異性に対して親からもらいたかった愛情を求めるようになった。

異性からの愛情を獲得することが生きるためにどうしても必要だったので、ハンティング効率を上げるために容姿を異性受けするように変化させることを、無意識でしていた気がする。

同時に、元々もっている美しい物が好きという特性が花開いたというか、興味関心が自分に向いたということでもある。


セクシュアルオリエンテーションは、
10代前半のころまでは女性の肉体のラインが美しくて素敵だなって思っていた。
思春期あたりからは男性になった。

多分、自分にないものに興味を惹かれる傾向が強い気がする。

胸が発達していないころは女性の凹凸のラインに、
胸が発達したら、男性の体のラインに惹かれるようになったから。

今は男性の筋肉のラインは本当に美しいなと思うようになった。


男性から性的な欲望を向けられることで、
いつも枯渇していた、愛されたい欲求を満たそうとしていたけど、

それが次第に「なんかちがうな」と思うようになった。

なんというか、「割に合わない」というか…

性の共有は、単純に快楽を享受できるし、セロトニンもどばどばでるから幸福感も味わえる。色々と試しきるまでは、RPGのゲームの攻略のような、ワクワク感もある。

同時に、お互い相手に対して「性の共有をするなら、自分のこの部分も当然受け入れてほしい」という欲求を無意識でもっていることが多く、

多分、私はこの部分をかなり煩わしいと感じている。


「自分の今週の予定を把握していてほしい」
「記念日をおぼえていて祝ってほしい」
「誕生日をおぼえていてほしい」
「休みの日は一緒に過ごしたい」
「自分の親を大切にしてほしい」

こういう期待をされると「えっ?」と思い苦しくなる。

他者と居住空間、経済、食事、性、情緒的なつながり等を共有するということは、その人のそれまで生きてきた歴史、その人の家系の歴史とも関わらざるを得ない時がある。

そして、家の歴史の暗いサイドは、大抵親族が一丸となって隠しているので、実際に家族の一員になってからでないと垣間見ることができない。

時に、「うわー、こんなのひきうけらんないよー」
というような、へどろとでくわすこともある。



なんていうか、共有するものが多すぎる。
私にとっては、日本の法律と慣習で日本人と結婚すると、息苦しすぎて窒息できるくらいのしんどさがある。

私は、基本的にひとりでいることでエネルギーチャージができるし、
ひとりで大抵のことは楽しめる。
ひとりで生きていくのに十分なお金を稼ぐこともできるし、
落ち込んだ時も、ひとりで自分の心を扱うことができる。
美しさへのこだわりが強すぎて、相手のテイストが自分の居住空間に入ることを嫌だと感じる。

婚姻関係を結ぶ、パートナーシップを組む、付き合っている関係性になると、その人がもつ情報量の多さに意識をとられてしまう。
また、相手が暗にもっている期待などのベクトルが私に向いている状態がもう煩わしい。

性の快感や幸福感と、日常のこのわずらわしさを比べると、
私は幸福感は性が絡まないところから得られるし、日常的に他者から受け取る刺激が少なく平穏である方がいい。



そしてほかにも、女性の肉体のまま性を共有することで、実際に生き死に病気、トラウマに関わることも発生するので、ほんとメリット少なって思ってる。

政府の方針で学校教育での実用的な性教育が制限され続けてきたし、日本の公教育は元々軍隊由来のシステム設計をされているので、「人権意識を育成する」、「個を尊重する」ということと相性が悪い。

だから、性ホルモンに支配されがちな年代での、性に関する事故が多発している。

運転免許の講習をちゃんと受けていないのに、運転している人達がうじゃうじゃいる状態。

  • 男の子の親が、自分の子どもに適切な性の知識(安全・衛生・快楽)を意識的に与える機会をもたない限り、性の教科書は暴力満載のポルノになることが多い。男性がポルノの影響を受けている場合、女性側は、一方的、強すぎる、痛い、内性器が傷ついて血が出る行為に晒されがちになる。もっとこうしたら気持ちいいのにと思いながら演技をして終わらせるが習慣になる。

  • 女性は内性器の粘膜部分の面積が大きいため男性よりも性病にかかりやすい

  • 妊娠を自分の意思だけで防ぐことがかなり難しく、ヘルジャパンで子どもをもつと果てしない自己犠牲を強要される

  • 保育や介護のためにフルタイムの仕事を辞めた女性がもらえる年金はごくわずか

日本で女性として性を異性と共有するって、本当にハイリスクだよなって痛感してきた。


だから、私は高校生への家庭科の授業で、性教育は結構しっかりプログラムを組んできた。

性教育に入る前の段階で、私はanoneというセクシュアリティ診断を紹介している。

セクシュアリティの気付きは、早い方が色々と予後が良いと感じているためだ。

何年か前に私もやってみたら、Xジェンダーでサピオセクシュアル

という結果だった。


ジェンダーについては、私のとても個人的な意見だけれど、

多分ある程度、ジェンダーへの学びを深めて、社会化された思い込み(*1)をそぎ落としていくと、大抵の人はXジェンダー分類になるだろうなという気がしている。

そして、自分の脳が喜ぶ相手に対して興味を惹かれるサピオセクシュアルという結果。

これもそうだろうなと思う。

会話をしていて、
「うわぁ私の脳が心地よいって言っている。打てば響くかんじ、この人の脳好きだわー」
って思うことがある。
それは男性も女性も。

ただ、私のセクシュアルオリエンテーションは多分今のところ男性だなという気がしている。

*1「あなたは女の子だからお人形さん遊びが好きよね」とか「男の子だったらどろだらけで遊ぶくらいがいいよね」と幼少期に何十回何百回と浴びる相手の在り方の方向性をきめつけるような言葉がけ)


ただ、私は、自分が男性の肉体をもっていたら、もっと性に活発になって人生楽しむだろうなと思うこともある。たくさん筋トレをして、美しい筋肉のラインを保つことに一生懸命になると思う。

かといって、性器を増設したいという欲求があるわけではない。
自分の身体は私の眼には美しく見えるし、気に入ってはいる。


最近友人に一緒にSMクラブに行かない?と声をかけられ、
「…この人私よりも解放されてるな。私まだ伸びしろあったわ。」
と思っている。


私は今こんな感じで自分の性をとらえている





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