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NZ生活で変化した私の内面⑤受身×察する×空気を読む習慣が引き起こしたトラブル
留学していると、皆さみしさ、寄る辺なさを抱えて生活することになる気がしている。
日本でそんなに頻繁に友人に会わないで、基本一人でいることが多い今の私と、
周りにいつも留学生仲間がいた当時の私の寂しさを比べると、
多分当時の方が、寂しさを感じていた。
なんでかなって考えると、
選択肢の違いなのかなって気がする。
今の私は人とリアルで会いたいって欲がほぼないけど、会おうと思ったら会える人の人数が多い。会いたいと思ってもなかなか会えないのは、スウェーデンで暮らしている親友くらい。
当時の私は、常に留学生仲間とつるんでいて、
日本にいる友人達に会いたいってあんまり思わなかったけど、
会おうと思ったら10万の飛行機代がかかる→ほぼ無理→考えないようにする
この思考の流れが、多分しんどかったのかなって気がしてる。
日本に当時付き合っていた人はいたけれど、
当時はLINEはなく、Skypeは使い慣れてない。電話で国際料金を払って声をきいていた。
語学学校で知り合った人達とよくランチを一緒に食べて、映画に行ったりしていたら、韓国人の30代のTVディレクターの仕事をしていたらしい男性の友人が、私をよく誘ってくれるようになった。
私は、あまりタイプじゃなかったし、付き合っている人もいたので、
日本人なら察するレベルで断るそぶりを見せ続けていた。
そこが、すべての間違いで…
日本人の察する感覚って、島国の人間同士特有の暗黙の了解で、
日本人以外の人たちに通じると思うこと自体まちがいで…
私は、一生懸命断っているつもりだけど、この友人に全然伝わらないことに、だんだんと焦りを感じるようになった。
結局は、友人が「押せばいける」とふんで、
ガンガン押してきて、身の危険を感じた私が逃げることで
関係が破綻するという結果になった。
この、私の「さりげない断りのアピールをする」「相手を傷つけないようにオブラートに包みまくった物言いをする」という習慣自体が、私の身を危険に晒すということを、身をもって経験し
「あ、私はこのままだと、安全にこの国で生きていくことができない」
と痛感した私は、バキバキと音をたてるように、自分の思考のクセを改めていった。
ここで、自分のOSに大きな変化が加わったんだけど、
このOSのまま日本に帰ると、それはそれでトラブルになった。
今「トラブルになる人とは距離をとれる自分になる」を実践しているので、進捗があったら、また別の機会で書こうと思う。