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運命について思うこと

オカルトの話というとすぐにそういった情報に詳しい先輩や地元の老人が出て来て「あーあ、そのパターンね」って思うことがあるよね。
でもあれって、実はすごく理にかなってるんだよ。だって、そういう人がいなかったら誰も生還できないかもしれないんだから。
そうなっちゃうと語り継がれるわけもない。無事生還した人がさらにその対処法を学んで後世に伝えていくんだよ。
だから、ご都合主義っていうのはこと物語を結果から見た場合にはひどく当然なものになるんだ。
これは漫画の主人公にもいえると思う。特殊な生まれであったり、運がすごくよかったりする主人公が多いのはそうやって物語が進むからなんだよね。
「運命」と言えばひどくチープになるけど、でもそういった運命っていうのは物語の中で重要だし、僕たち自身の人生でもひどく身近なものだと思うんだよね。
まあ、そういう話を今からしようと思う。
僕がまだ小学生の頃の話。

うちの実家は東京都八王子市の中の多摩ニュータウンというところにある。
僕が小学校に上がるくらいの時に完成したその町は、駅前こそ綺麗に整備されているものの15分も歩けば牛がいるような場所でね。
小学生だからそこまで行動範囲は広くなかったけれど、それでも「都会みたいな田舎みたいな変な場所だなぁ」くらいの印象があったんだ。
家のすぐそばにはゴルフ場、その周りは木が生い茂っていて、都外に住む人の東京のイメージからはかけ離れたような場所だったと思う。
小さい頃の僕は、友達も多少はいたもののなんだか思い出せば一人でいることが多い子供だった。
所属していたサッカークラブの仲間や、休日も一緒に遊んだりする相手もいたはずなんだけど、不思議なものだよね。
街灯もなんだか常に薄暗く、昼と夜の境目がひどくきっぱりしていて、夕焼けの赤さや人の家の夕食の匂いがとても近い場所だったんだ。

その日、僕はいつも通り学童保育所から一人で帰っていた。
秋から冬に移る頃で、家の近くにあるバラの生垣がやけに寒々しく見えたのを覚えている。
学童保育所から僕の家までにはひとつの大きな橋がかかっていてね、そこからは自分の住んでいる多摩丘陵を大きく見渡すことができるんだ。
センチメンタルなんて言葉もその意味も知らない子供だったけど、何とは無しに立ち止まって感傷にくれたりしていたな。
その橋っていうのは8階建てのマンションと同じくらいの高さがあって、落ちたら余裕で死んでしまえるような橋だった。
小学生ってのはなんだかとても向こう見ずな生き物で、橋の柵の外側を歩いて渡り切りたいな思ってしまったりするんだ。
こういう衝動っていうのはなぜだか自分で抑えることがひどく難しい。
気がついたら僕は橋の柵の外側に足をかけ、歩き出していた。一歩ずつ柵の間に足を突っ込みながら慎重に進む。一つ進んでは少し休みを繰り返しながらはしのまんなかあたりまでたどりついた。
でもね、僕は鈍臭い子供だし笑っちゃいけない時には笑わずにいられない、白いシャツを着てる時当たり前にカレーを食べて零すような人間だからあっさりと足を踏み外した。

ああいう時って、不思議と声が出せないもんで無言で落ちていった。
で、まず最初に夕焼けで染まった空がポーンと目に入って来て、落ちて行くっていうより「わーなんだか空がどんどん狭くなっていくなぁ」ていう感じ。
そのあと橋の近くにあるマンションの一室にぼやっと同級生の顔が見えた。そいつは特に仲が良かったわけじゃないんだけど、すごく驚いたような顔をしてこっちを見ていた。
「なんか変なとこ見られちゃったなぁ」と思いながらゆっくりと人気のない道に落ちていく。そして、下のアスファルトにぶつかったあたりで目が覚めた。
目が覚めた、というかそういうしかないというか難しいところなんだけど、僕は家の中にいた。
共働きの両親はまだ帰ってなくて、薄暗い部屋の中でぱちりと目を開けた感じ。
暖房もついてないし、電気も付いてなくてひどく寒々しい部屋の中、僕は特に傷もなく寝転がっていた。
「あれ、なんでだろう」と思ったけど、なぜかそれがひどく当然のような感じがして深く考えることもなかった。しばらくして帰ってきた両親にもその話をする事はなく、そのままその日は眠った。
翌日、登校中に同級生と一緒になった。落ちていく瞬間に目があったやつだ。
当たり前のように「昨日はごめんね、なんか変なとこ見せちゃって」と言ったけど、そいつは「なんのこと?」と言うだけで要領を得なかった。
やっぱり夢だったのかなぁ、と思いながら学校に向かった。

話っていうのはそれで終わり。
これだけだと「なんだ、ただ変な夢見ただけじゃないか」って思うかもしれない。
こんな経験て多分誰にでもあると思う。やけにリアルなあるはずのない思い出。
生死に関わるものからそうじゃないものまで、たくさん。それは本当に夢なのかな?
ここで最初の話に戻る。
本当は僕はあの時死んでいたはずで、今いる僕は死ななかった自分なんだ。つまり、「運命」として死ぬべき僕と死ぬべきでない僕の記憶が混じったせいで混濁した記憶が生まれているんだ。
ご都合主義的な、偶然生きていた僕とそこにいられなかった僕。この2人は常に隣り合わせだし、それは多分2人なんて人数よりもっともっと多くてこの地球上の生命の数より多いかもしれない。
明日を生きる僕が今日の僕である理由は全くないんだよなぁ。
「運命」なんて言い方を冒頭でしたけれど、「運命」も「必然」も今存在する僕らからしたらそれしかあり得ないんだよ。
僕や僕じゃない人のそれぞれのストーリーが必然と運命によって進むなら、そこにいられなかった僕や僕じゃない人も、本当はどこかにいるはずだと思ってる。
そして、僕自身だっていつ「落ちて」しまって、運命や必然から見放されるかわからないんだよなぁ。

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