Yui3

marebitoというバンドをやりながら雑誌の編集をしています。古い漫画が好き。音楽が好き。寝るのも好き。

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マガジン

  • 退去費用50万が30万以上下がった話

  • marebito通信、というよりも僕の私信forあなた

最近の記事

逃げた猫の話

我が家には何匹かの猫がいた。 いなくなってしまった猫2匹、その後からやってきた猫3匹。 初代猫ハチワレの風太朗は何度かの脱走の後、消息を絶った。二代目猫キジトラの虎丸も同じく、脱走して消息を絶った。 彼らは赤子の時に保護して、去勢手術をされ、そしていなくなった。 2匹とも僕の脇で眠る可愛い猫たちで、彼らがいなくなった後、僕はとても悲しかった。 いなくなった猫を捕獲するため、僕は捕獲機を買った。無骨な装置のそれを、僕は毎夜家の外に仕掛けた。 その結果、関係のない猫が引っかかっ

    • 地元のエロ本自販機

      高校生の時分、僕は家の隠し本棚いっぱいにエロ本を隠していた。 自慢げにそれを見せた際に「エロ本図書館」というありがたいあだ名をもらったこともある。そんな僕とエロ本の出会いの物語だ。 僕が小学校時代を暮らしたのは「京王堀之内」という京王線ユーザーであってもあまり馴染みのないであろう場所だった。 いわゆる多摩ニュータウン、スタジオジブリの名作『平成たぬき合戦ぽんぽこ』の舞台になっていたことで知られている。 駅を出て南の丘を登っていくとコンビニすらなく、整理された住宅地。駅を降っ

      • うちの子の入学式

        今日は彼女の子供の入学式だった。 こんな書き方をしているがすでに一緒に暮らして3年近く経つ。 もう家族のようなものだとは思っている。 なので、ここからは「うちの子」という書き方をしよう。 うちの子には発達障害がある。自閉症に近いものだ。 発覚したのは4歳頃、僕が一緒に暮らし始めてしばらくした時だった。 それまでも少し発達が遅いというのはあったが、どんどんその兆候があからさまになっていった。 元々僕は子供が嫌いだ。正直今も得意ではない。 何を考えているかわから

        • 38歳の私

          38歳になりました。 坊主頭にねじり鉢巻、肩を捲って体育祭に出ていたあの頃から二十年以上が経っています。 あの頃から今までの間、僕はたくさんの人と出会い、そして別れてきました。 ふと思い出す瞬間は全て失った時間で、僕はそれを眩しく思いながら暮らしています。 いつの時代を思い出しても、後から考えるとそれはとてもキラキラとした日々でした。 僕の心はそのような日々に囚われ続けていて、細胞が更新されていく身体の最先端の部分に全くついていけていません。 当たり前のように38歳となり、彼

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        • 退去費用50万が30万以上下がった話
          6本
        • marebito通信、というよりも僕の私信forあなた
          36本

        記事

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話最終回「落とし所」

          北島から来たメールはさながら最後通告だった。 こいつ、どこまでいっても人の質問に答えないなぁという諦めの気持ちが胸に宿り始めていた。 この時、すでに12/24。 街はクリスマス一色なのになーんでこんな人の話を理解できないバカとメールしなきゃならないんだ、という気持ち。しかもクロス張り替えの値段ちょっとあがってるし。 ちなみに保険に関しては、自分でも確認したところ故意でなくてもガラスが割れた場合には借主負担になるという保険でした。果たしてこの保険、入る意味あったんだろうか。

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話最終回「落とし所」

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その6「泥試合」

          そんなわけで、あらかたの話はついたもののあまりに的外れな回答について矢継ぎ早にメールをしたところ北島からの返信がきた。 で、でましたー! 「大家さんが気の毒だったのであの様な金額を提示しましたがその後かなり譲歩したつもりです」もうね、アホかと。バカかと。 そんなことは聞いてないんですよ。 そもそも、そちらに正当性があるならそれをいえばいいだけの話でしょう。 そして、あくまで出さない張り替えの証拠。 とりあえずこの辺りからもうどうでも良くなってきて雑に苛立ちをぶつけます。

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その6「泥試合」

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その5「噛み合わない話し合い」

          かなり強く責め立てた結果、北島からも強めの反応が返ってきた。 どうしても減価償却の話や耐用年数、そして作業する箇所や面積の話はしたくないらしい。「普通に生活しただけではあり得ない傷」がどこかも説明してくれない。 さらに天井の汚れなんかわかるわけないしこっちもつけた記憶がないから払う気にはならない。 ちなみに、フロアに傷がついてしまった場合の修理について。 本当に全面を張り替えなければならないような場合は減価償却が適用され、耐用年数から実際使用した年数を差し引いた額を借主が

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その5「噛み合わない話し合い」

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その4「話が通じない」

          しばらくして、北島から返信が来た。 「明日大家さんと話します」という連絡が来てから3日が経っていた。 内容は 返信が遅くなったのは大家と業者と相談したから、とのことだった。まあそれはいい。 しかし、それ以外の内容は目を疑った。 「トイレと洗面所のCFシートは小林様の責任ではないと思います。」 「納得がいかないのであれば業者と直接話し合ってください。」 いやいやいや、あんたなんのためにいるんだよ。 そもそもこっちの質問に一つも答えてないですよね? という事で思った事をメールし

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その4「話が通じない」

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その3「原状回復と減価償却」

          北島にメールを送った後、今の家を紹介してくれた田井くんと作戦会議兼ほぼ忘年会的飲み会を行なう。 とりあえず契約書を携えて、麻田くん(後輩)の家に行き新鮮な卵を分けてもらった後に居酒屋へ。 酔っ払う前に契約書を確認してもらうと「これは余裕だね」という田井くん。 「減価償却だけでもだいたいなんとかなる。ガラスは保険きかないか確認して、後クリーニング代が高いなぁ」とのこと。 ここで、原状回復と減価償却についての説明をしてもらった。 原状回復と減価償却 まず、「原状回復」とは文字

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その3「原状回復と減価償却」

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その2「盛り盛りの見積もり」

          北島という担当者からメールが届く。 そこにはクリーニング代など、退去費用と呼ばれるものの明細も添付されていた。 ここにプラスしてクリーニング代が90,000円と言うことだった。 まず、イラっとしたのは「二年間しか住まわれていらっしゃらなかったとのことですが、今までにないほど傷みが激しく大家さんもびっくりされていました」の一文である。 ここで僕もスイッチが入り、最初に感じた疑問をメールで送る。 ・「リビング(15㎡)のタイル」の話をしているのに「49㎡」の工事代を請求してき

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その2「盛り盛りの見積もり」

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その1「唐突な請求」

          2022年秋、僕は埼玉県所沢市に引っ越しをした。 理由はいくつかあるが、生活をする上で中野区上鷺宮のマンションに住みづらくなったからだ。1番の引き金になったのは「ちょっとでもギター弾きたいなら出て行ってください」と言われたから。 住む時に一応聞いたのになぁ、と思いつつ更新のタイミングだったので退去。 不動産屋の友人(田井くん)を頼りに新居を決めて、やんややんやと引っ越しをした。 やってきた請求 引っ越しをして2ヶ月後、管理会社から音沙汰がないので「家賃を日払い換算した時の

          退去費用50万を請求されたので徹底抗戦をする話その1「唐突な請求」

          上石神井の町中華『喜楽』は5月に閉店していた

          上石神井にあった『喜楽』という中華料理屋が無くなってしまった。 西武新宿線にある上石神井は僕が初めて一人暮らしをした駅だった。 当時二十歳で大学二年になった僕は「仮面浪人してもっといい大学に行け」という父の圧力にも負けず、元気に大学をサボりまくり一年生時の単位は両手で足りるくらいであった。 二年になってからも学問への熱は上がらず、mixiで知り合った関西の女の子と付き合ってお互い行き来をして、こっちに来た時にはこっそり自分の部屋に泊めていた。 それが父にバレてしまってか

          上石神井の町中華『喜楽』は5月に閉店していた

          2013年、秋の日記

          東京の街に出てきました。 僕は生まれも育ちも東京都下で、上京というものをしたことがない。憧れもなければ、落胆もしない。 ただの東京がそこにあって、そこに僕がいる。 終電、品川へ向かう山手線の中には東京の顔しかないのになんだか全ての世界を包んでいるような不思議な空気があって、僕は息が詰まりそうになる。 目の前で缶ビールを飲んで一人でにやつくじいさんの人生を僕は知らない。 左隣でガムを噛みながら耳障りの声で話す、太った女の人生を僕は知らない。 僕がわかるのは、彼らが東京に

          2013年、秋の日記

          秋の夜

          RUFUS HARLEYを聞きながら、秋の夜を中央線で駆け抜ける。 何を見てもなんだか懐かしいような気がするのは、ぼくがそれなりに物を見ながら三十年近くを生きてきた証なのかもしれない。 そういえば、モンスターハンターが発売されたようだ。買おうかしら、と思っていたものの、機会を逃してしまった気がしてもう買わないだろうなぁ、と思っている。 だいたいのことはそんなもので、会おうと思ってた人、行こうと思っていたライブ、みようと思っていた映画、「機会」を逸したという言い逃れで惰性

          秋の夜

          2013年、夏の話その二

          そして今日もまた、雑多だけど猥雑さを感じさせない御徒町の駅を歩く。 少し前に比べればいささか熱気を失った、それでも汗ばむには十分な大気に包まれながら、スーツ姿の合間を縫って、歩く。 校了前の焦れた気分のまま、一日を過ごし、明日の昼にはひと段落しそうだと思い安堵する。 帰ったらギターをひこう、帰ったら歌を歌おう、途中の駅で降りて、少し歩いて帰ってシャワーを浴びよう。 それが、いまの僕の人生だ。 明日は土居くんにあって、明後日は出かけて、明々後日は遊びに行く予定だ。

          2013年、夏の話その二

          2013年、夏の話

          今日はここ数日と同じように暑く、そして一つの記念日でした。 来年度には三十歳になる僕が生まれるさらに四十年近く前に一つの戦争が終わった日でした。 日本はアメリカに武力で敗れ、二つの核爆弾をを落とされ、戦争に負けました。 敗戦と終戦、この二つの言葉は一つの火種になり、国内で、国外でくすぶっています。 幼い頃、僕は父に「敗戦記念日」と言い聞かされて育ちました。まだ頬を赤く染めてそれなりに無邪気な顔をしていた僕はそれを聞いて育ちました。 いつの頃からか、本を読むのが好きにな

          2013年、夏の話