異人(marebito)です。
なんとなく死んでもいいなぁという日がある。死にたい、とまでは思わないけれど。
少し感覚が敏感になってるのかもしれない。それは降らなかった大雪のせいでも、乗り過ごしてしまった満員電車のせいでもなく、雪が降らなかった事が悲しいからで、満員電車に乗る人の顔の一つになるのが嫌だったからだろう。
愛すべき日常と、愛すべき非日常の繰り返しを望んでいるのに、当たり前のようにその期待は裏切られて、裏切られたと思う自分が愚かな事も知っているからこの足を自ずと死に向けるほどの気にもなれない。
いつでも、自分が自分でないような感覚につきまとわれて、全てのコミュニティにおいて部外者の様な気持ちになりながら、それでも仲間の顔する自分が嫌いじゃないけど好きでもない。
民俗学の中で異人(まれびと)というものが出てくる。一種の妖怪、又は神様の類いと言われ、違う次元や世界から来た人の事を言うそうだ。
結局、僕や僕以外の人はみんなお互いにとって異人であり、理解するなんてのは難しいのだと思う。拭いきれない自己不信と、自発的な社会からの離脱という、最大限自分を傷つけない、それでもゆるゆると自分の首を締めるような感覚が嫌で、風来坊に憧れてみたけども、それでもあの子という誰かを探している自己矛盾。
そんな事考えていても春を含んだ日差しは鋭くも暖く、少しぼんやりとしていた街の陰影を明確にしていく。その中を輪郭を無くしかけたまま歩いていると、このままビルの影と影の間のひだまりの中で消えてしまっても良い様な、そんな気持ちになるのも仕方ないのかもしれない。
でも消えないのはわかってる。自分で思うより強く自己主張をするこの体と自我が明日もあるだろう、という憂鬱と安堵感を抱えて、明日生きるために今日も生きる。