そんな日もあった
スーサイドもジェノサイドも、結局僕からしてみればほぼ同じものなわけで、主観だの客観だのの差にすぎないのだから。
僕が死んで僕が殺して、僕が殺されて誰かが死んで。
暑い日の事でしたね、なんてクーラーの効いた部屋の中でそれなりの誰かと話をして。
なんだかフラッとやってしまったことを、他人事のようにおもいだすのが人生なのだろう。
雨のち晴れのち曇り曇り曇りくらいのバランスで、明日より先の世界を生きることは既に前提としてあるのだから、曇りの日にできることを考える必要があるわけで。
すっかり重くなった、重いままの身体をヨタヨタと揺らしながら都営大江戸線新御徒町駅へと通う毎日で。
ああ、なんてことはない、なんてことはない。誰だって同じだ。
ちりん、となった風鈴の音で我にかえって、かえったつもりで自我をなくして、理想の片隅で息をし続ける哀れな生き物に。蚊取り線香の匂いで死んでしまえるような、小さな存在に。
梅雨が来る前に吐き出さなければならない。