見出し画像

朝の挨拶201104 読むRadio

Good morning, everyone. おはようございます。

11月4日水曜日。
本日は、ユネスコ憲章記念日。

ユネスコ憲章記念日(11月4日 記念日)
1946年(昭和21年)のこの日、「国際連合教育科学文化機関憲章」(ユネスコ憲章)が発効し、ユネスコ(UNESCO)が発足した。
「UNESCO」の名前は正式名称「United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization」の頭文字に由来する。日本語では「国際連合教育科学文化機関」といい、国連の専門機関である。本部はフランスのパリにあり、教育・科学・文化の発展と推進を目的としている。

画像1

「教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さない」との理念により設立の意義を定めたユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言がある。
活動にあたっては、重点的に推進する目標として「万人のための基礎教育」「文化の多様性の保護および文明間対話の促進」などを定める。それに基づき、例えば前者に関しては識字率の向上や義務教育の普及のための活動、後者については世界遺産の登録と保護、文化多様性条約の採択のほか、歴史的記録遺産を保全するユネスコ記憶遺産(世界の記憶)事業などを実施している。

世界遺産、日本にも増えましたね。


朝ルーティンの時間

天気はみぞれ。6時の気温は20℃。湿度47。
外気温2℃。初雪。日が昇る前に畑を見たらほんの少し雪が残っていました。

米大統領選、投票開始。どちらに決まるか。

嵐が日本経済を動かしていると言っても過言ではない。

クモ、こうしてみると目が丸くてかわいらしいですね。


ブラームスはお好き?

画像2

1959年に発表されたフランスの作家フランソワーズ・サガン作の小説『Aimez-vous Brahms? 』ブラームスはおすき。パリを舞台に3人の男女が織りなす恋物語。
若くして1度離婚し、今は独身となったポールは39歳の女性。装飾デザイナーの職につき経済的に自立している。
互いに束縛せず、同棲もせず、お金の貸し借りもなし、という約束のもと、同じ独身の中年男性ロジェと交際を続けてきたが、若く心優しい25歳の青年シモン(映画ではアメリカ人の「フィリップ」と変更されている)に出逢う。

題名の「ブラームス」は、ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームスのこと。「ブラームスはお好き」とは、シモンがプレイエル・ホールでのコンサートにポールを誘う手紙の中で「ブラームスはお好きですか?」とさりげなく問う一文からきている。


『Goodbye Again』

監督 : アナトール・リトヴァク
出演 : イングリッド・バーグマン、イヴ・モンタン、アンソニー・パーキンス、ジェシー・ロイス・ランディス

1961年、フランス・アメリカ合作で小説を映画化。邦題「さよならをもういちど」(仏:Aimez-vous Brahms?)。初公開は1961年。

衣装はクリスチャン・ディオールが手掛けた。

主人公の女性ポールを演じるのはイングリッド・バーグマン。ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』(1942)、シャルル・ボワイエと共演した『ガス燈』(1944)、アガサ・クリスティ原作の傑作ミステリー『オリエント急行殺人事件』(1974)など最高の女優のひとりだ。
ポールと交際関係にあるロジェには、シャンソン歌手でもあるイヴ・モンタン。『恋をしましょう』(1960)でマリリン・モンローと共演していた。
弁護士事務所に勤める25歳の年下男性シモン(フィリップ)は、アンソニー・パーキンス。1960年にアルフレッド・ヒッチコック監督『サイコ』に主演して強烈な印象を残した。本作で第14回カンヌ国際映画祭・男優賞を受賞している。


Diahann Carroll

ダイアン・キャロル_Love is just a word

『Goodbye Again』(1961)より

映画にはダイアン・キャロルがナイトクラブのシンガー役で出演している。
このときは「Love is just a word」という曲を歌っていたんだけど動画が見つからなかった。


ダイアン・キャロルはアメリカ・ニューヨーク・ブロンクス生まれのゴスペルシンガー。親の協力もあり、音楽と美術を学んだ高校在学中からナイトクラブを拠点に歌手として活動をはじめ、ニューヨーク大学にも通った。
18歳の時、デニス・ジェームズが主催する『Chance of a Lifetime』(プロ歌手、ダンサー、楽器奏者などが競う番組)に出演。 Jerome Kern/Oscar Hammerstein「Why Was I Born?」で$1,000の最優秀賞を受賞、4週間勝ち続けた。マンハッタンのナイトクラブ「Café Society」カフェ・ソサエティと「Latin Quarter」ラテン・クォーターでの契約も続いた。
1954年、19歳のときにミュージカル『House of Flowers』でブロードウェイの舞台にデビュー。ミュージカル主演女優賞にノミネートされた。同年『Carmen Jones』(カルメン)で映画デビューも果たした。
1959年、ジョージ・ガーシュウィンの映画版『Porgy and Bess』クララ役では、歌の部分がオペラ歌手ルーリー・ジャン・ノーマンによって吹き替えられたという。
1961年『Goodbye Again』、『Paris Blues』(パリの旅愁)では、シドニー・ポワティエ、ポール・ニューマン、ジョアン・ウッドワードと共演するなど、女優・モデルとしても活動した。
1962年、バーバラ・ウッドラフの生き様を描いたブロードウェイミュージカル『No Strings』(ノー・ストリングス)でバーバラ役を務め、アフリカ系アメリカ人女性として初めてトニー賞主演女優賞を受賞。
1974年、ジェームズ・アール・ジョーンズと共に『Claudine』(クローディン)に主演し、アカデミー主演女優賞ノミネートを受けた。

アメリカのテレビドラマでは、黒人女性を非ステレオタイプな役で主演したことでも知られている。
1968年にテレビシリーズ『Julia』(ジュリア)でベトナム戦争で夫を亡くし、シングルマザーとして子育てと仕事の両立に奮闘する看護師ジュリア・ベイカー役でゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。家政婦などステレオタイプな端役しか得られずにいた黒人女優たちに活躍の場を創り出した。

数多くの映画や舞台に出演し、賞を受賞またはノミネートされたが、1974年の『Claudine』出演直後ショービズの世界から引退。
1984年から放送されたゴールデンタイムのメロドラマ『Dynasty』で、混血の歌姫ドミニク・デベロー役を演じて一世を風靡。これをきっかけに活動を再開し、テレビの人気ドラマにゲスト出演した。

2019年10月4日、乳がんとの闘いの末、この世を去った。

デビューから2年の間にキャリアが実現しなければ、大学に戻ることを家族に約束していたので、彼女の成功はアメリカの映画・舞台・テレビなどの世界、黒人女優にとって大きな功績といえる。


「But Not For Me」,「Please Be Kind」

1964年11月18日に放送された「The Danny Kaye Show」
後半はダニー・ケイとの会話の他、ふたりでデュエットもしている。

「バット・ノット・フォー・ミー」は、ジョージ・ガーシュウィンが作曲し、アイラ・ガーシュウィンが作詞した楽曲。
ミュージカル『Girl Crazy』(1930)のために書かれ、オリジナルはジンジャー・ロジャースが歌った。このミュージカルを基にしたミュージカル『Crazy for You』(1932)クレイジー・フォー・ユーでも歌われている。

「Please Be Kind」は、クリスマスソング「レットイットスノー」を作ったことでも知られる作詞家サミー・カーン(Sammy Cahn)による楽曲。
大部分は映画やミュージカルのために作られ、ジャズ・ミュージシャンが作曲したのは1940年代以降に登場した。


Johannes Brahms「Symphony No. 3 in F major, Op. 90 - III. Poco Allegretto」

ヨハネス・ブラームス「交響曲第3番第3楽章ポコ・アレグレット」。
映画では甘美なメロディが様々にアレンジされ、3人の胸の内を効果的に表現している。


本日はここまで

いかがでしたか。
尾崎紀世彦「さよならをもう一度」から映画に飛んでみましたが、ふたを開けるとたくさんの音楽できらめいていました。クラシック音楽やジャズは敷居が高いと感じる方も多いようですが、映画やテレビに使われると親しみがわきませんか。ジャンルは分けられていても音楽の世界は広い。そこに足を踏み入れば、音楽が光の洪水のようにあふれてきます。
是非聴いてみてください。

本日はここまで。読んで下さった皆様、ありがとうございます。感謝!
今日も元気にお過ごしください。
笑顔は幸せの素。”Your smile makes everyone happy!!”それでは良い一日を。Have a fine day.

201104 YUHUA O.


いいなと思ったら応援しよう!

YUHUA O
あなたのおかげで、勇気と希望が湧いてきますッ!