「人たらし」であり続けたい理由。
「ゆうちゃん大好きやで」
9年前、突然亡くなった妹みたいだった友人が遺した言葉。
それが今も僕を歩ませる。
そして今。
これは先日、出張先などで言われた共通する言葉。
「なんでそんなに人のために一生懸命になれるんですか?」
「何があなたをそこまでさせるんですか?
「何が支えになって、何がそう駆り立てるんですか?」
近況を投稿するSNSを見ている人たちに、
そう見てもらえているんだと嬉しくもあり、まだまだという想いもあり。
「何もない僕を必要だと言ってくれること、何もない僕に手を差し伸べてくれた人たちがいて。今度は僕があちこちから呼ばれるようになったから、恩返しというか」
それも本心。
「ご縁だけで生かされているから、ご縁に報いたい」
これも本心。
そんな僕のことを、当人同士はつながりのない人が
同じことを言ってくれた「人たらし」と。
今年だけで何人に言われたろう。
人たらしって言われてこんなに嬉しい言葉だったかなと。
とてもありがたい言葉。
根本は褒められたいとか好かれたいだけの浅ましさもあるのかも。
子供の頃、クラスの人気者になりたくて仕方なかった。
休み時間にみんなが集まる人気者に。
でも、なれなかった。
小学生の頃のモテ度は
1:足が早いやつ、スポーツできるやつ
2:勉強できるやつ、ピアノとか楽器弾けるやつ
3:イケメン、可愛い子
4:おもろいやつ
おもろいやつが評価されるのは中学生ぐらいから。
ぎりぎり4に手が届きそうな時には時間切れ。
それでも、リア充になりたくて、なれなかった成れの果てのままだった。
そんな風になって、下らない僕の人生は下らないまま時が過ぎた。
ある時、僕が今でも人生の師と慕う人に出会う。
こんな下らない僕を本気で叱ってくれた。
本当、マンガのように
「ちょっとそこに座れ!」
と何度も何度も話をしてくれた。
人に対する態度、視線、言葉遣い。
何から何まで叱ってくれた。
「お前は上辺で人付き合いして、良い人に思われたいだけ、傷つきたくないだけ。仕事も何もかも上辺だけ。
薄っぺらいカッコだけのお前みたいなやり方は好かん。
人間が学び本当に変われるのは35まで。お前がそこで変われるかどうか俺は見てるからな」
強烈なエールだった。
「仕事はな、気配り、根回し、思いやりや」
この人の言葉は、今も僕の背骨になっている。
確かにいつも僕が行き詰まると、そっと根回しをしてくれていて、助けてくれた。
多くを語らない。
お礼を言うと「知らん」ととぼける。
典型的な頑固親父だ。
その頑固親父が多分、僕の背骨を入れ変えてくれた。
人との関わり方を根本から考え直させてくれた。
そんな折、僕は大きなものを失う。
大親友の彼女で、妹みたいな存在だった子。
あの時も、何だか辛そうでしんどくてたまらないあの子の相談事を親友と聞いてた気がする。彼女は時々心を覆い隠す見えないものと戦ってた。
原因は小さい頃から親から受けていたネグレクトと虐待。
自分が大人になればなるほど、自分を虐待し放置していた人に近くづくほど、そのときの傷が塞がらないほど大きくなってた。
それでも、何度も僕らは彼女の傷と向き合った。
そんなやり取りの最後にいつも彼女が放つ言葉が
「ありがとう。ゆうちゃん大好きやで」
だった。
そもそも二人をくっつけたのも僕で、恋愛のそんなものは互いに微塵もなくて、彼女なりの、いつもの、ありがとうの表現。
誰かを好きと言うことで、誰かがその言葉に頷く、それが彼女を安心させていたのではないかと思う。
それを聞いた親友は、ちょっと妬いたようなことを言う。
そこまでがいつものお決まりの1セット。
発作のように来る、心を覆う奴を追い払うと、親友と彼女は僕に言う。
「人に教えたり、悩みとか相談に乗って解決する仕事に就いたらいいのに。先生とか(笑)」
「カウンセラーとか?柄でもない」
先生になりたい時期は確かにあったけど、柄でもなかった。
彼女の発作も落ち着き、だんだん僕も忙しくなって来た頃、
彼らにも会えなくなっていた。
彼女との最後のやり取りは何気ない短いメール。
「話したいから、また家に寄って」
「月曜なら、顔出せるかも」
「わかった。ありがとう」
その週末、普段電話も寄越さない彼からの着信で訃報を知る。
そして、約束の月曜の夜、僕が対面したのは棺に眠ってるあの子と、その前で崩れ落ちる親友の姿だった。
僕よりふた周りぐらい大きな体が小さく見えて、顔を腫らすぐらい泣きつかれた後だった。
辛かったろうに苦しかったろうに、なのにこんな眠ったみたいな顔するんだ。
「何もかもから、解放されたかったんかな」
駆けつけた僕にすがるように、親友が嗚咽しながら崩れ落ちた。
びっくりするぐらい澄んだ顔をしていて、
そうか、もういっぱいいっぱいやったんやね、しんどかったんやね。ごめんな何もできへんかった。僕も泣き崩れた。
誰もいなくなった斎場で2人でじっと座ってた。
なんだか待ってたら起きるかも、そんな気がして。
僕はその日、全く違う仕事への配置転換を命じられた転機の日だった。
やりたくもない仕事、やったこともない仕事をどうするか、迷い考えていた自分がバカらしく思えた。
あれは多分、今の僕へつながる、この道の新たな始まり。
たまに職場の最寄り駅で彼女に会う夢をみる。
自宅も自転車で5分ぐらいの距離なので、僕はこう言う
「こんなとこで会うなんて。一緒に帰ろうや」
そう言うと、彼女は寂しそうに笑う。
「ううん、私こっちやねん」
と、逆方向を指差す。
「なんでーな、家近くやのに、同じ駅やん」
「ううん、ゆうちゃんとは一緒帰られへん。わたしこっちやから」
と繰り返し、僕を見送る
そこで目が覚める。目が覚めて、やっぱり居ないんだという喪失感にまた打ちのめされる。
それから何年も経って、
親友は会社を辞めて大学に編入。
「あいつみたいな子を出したくない。家庭に居場所がないなら学校に作る。ああいう子を助けてやれる教師になりたい」と教員採用試験を受けた。
僕は、期せずして、
コンサルタントという肩書きで、企業や店舗を手伝う仕事に就いて、月に何度か壇上で話をしている。
二人とも、道は違えど「せんせい」になってた。
あの時の言葉が現実になってるみたいに。
そして不思議なもので、
今また、僕を「ゆうちゃん」と呼んでくれる仲間がいる。自然とそう呼んでくれるようになった人たち。
その人たちが「ゆうちゃん 」と呼んでくれる度、唇を噛み締め、拳を握りしめるような想いに駆られる。
健康で長生きたとしても、そろそろ人生の折り返しに差し掛かり、想うことがある。
若くして時を止めてしまった存在があって、それでも生かされている自分がいること。
下らないままで、人生の半分の半分は生きてきたから、
これからはどう自分が生きて生かされ、誰かを活かすのか。
誰かのどこかの役に立てることで自分が何かを成して、
そして迎える最期の日に、「やりきった」と言えるように。
ズボラでいい加減な僕だから、「ゆうちゃん」と呼んでくれて、
背筋を正せと言ってくれるような人たちがいるうちは、最高に「人たらし」であり続けたい。
人たらしで、誰かの役に立ち続けたい。
ゆうちゃんは、まだしばらく頑張ろう。
また訪れた彼女の命日にあたり。
周囲のみなさんへ心から感謝を込めて。