小さな旅、中華街で魯肉飯を
11月ごろの話。1週間に2度、横浜中華街に足を運ぶ機会があった。
神奈川に引っ越してきたときは、横浜赤レンガ倉庫や異人館エリアの異国感あふれる建造物に惹かれる一方で、中華街のごちゃごちゃして主張が強いTHE・アジアな感じがあまり好きではなかった。(日本もアジアだが完全に棚に上げている。)あと、中華街は道路の狭さのわりに人が多く、その混雑ぶりにぐったりするのも敬遠する一因だった。
と思っていたのだが、久しぶりの中華街は何だかとても居心地がいい。想定外に楽しくてテンションが上がる。主張が強くてごちゃっとした店舗は賑やかさの象徴に見えるし、食べ歩きのお店に客が並んでいるさまには活気を感じる。八角の香りがふわりと流れてきて、台湾で夜市を練り歩いたときの心踊る感覚が蘇る。
赤や暖色を基調としたお店の装飾、商品の写真がでかでかと印刷された看板、軒先の手書きのメニューはスタイリッシュさからは程遠いけれど、そのぶん生身の人間がいる実感が湧く。メインストリートを1本曲がった路地でもその活気は変わらない。人が介在する明かりが灯り続けている。呼び込みの店員さんも多い。その活気には生々しさがあり、一転して安心感を覚える。
夕飯を食べるため、中華・台湾料理のお店にひとりで入った。以前から行きたいと思っていたお店。とりわけ細い路地を入りおそるおそるドアを開けると、暖色を基調とした店内は小物や装飾で賑やかに彩られている。花柄のクロスがかけられた2人がけの丸テーブルに案内されて店内を見回す。やっぱり安心感がある。ほっとする。
甘さのある魯肉飯と軽い飲み口の台湾ビールが、疲れた体をみるみる潤していった。
舶来した異文化を感じられる港街はもともと好きだ。その対象は西洋文化を指すものだとばかり思い込んでいたが、赤レンガ倉庫や異人館とはまた違う中華街特有の異国感に浸りきって「これもありだな」と思えた。
街に溢れる無秩序な活気は、その瞬間に抱えていた不安や不満を荒波のように巻き込んでいく。生身の人間がそのまま介在する熱量は、自分をよく見せようとか、そういったあれこれ頭の中だけで考えていた見栄を一時的にでも押し流していってくれた。
理路整然としていなくてもいい。雑然としていてもいい。そう教えてくれる中華街が、前よりちょっとだけ好きになった。
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