賢く生きる、とは
長らく生きてきた世界では何をするのにも「暗記」の能力が必須だったように思う。
両親は私を2才から音楽教室に通わせ、3才で既にひらがな、カタカナ、簡単な漢字の読み書きや足し算を覚えさせたのだという。親すごい。
7才からはイギリス人(ネイティブの先生)に英会話を習っていた。
父も母も絶対に口を割らないけれど、実家は間違いなく金持ちだったと思う。毎日何かしらの習い事をしていた。日曜もガールスカウトに通った。親すごい。
学校の勉強は小学生のうちは良い方だったけれど、中学高校の成績は半分くらいだった。他の仕事や部活動があったので、ほとんど勉強はできなかった。暗記力が全てだった。
ただ、空間把握は暗記ではどうにもならず「右と左」という基本的な事を覚えるのに時間がかかった。左利きを矯正したこともあり「お箸を持つ方の手」という説明がわからないのだ(これは説明の仕方も良くないと思う。大人になってから子供たちに指導するようになると痛感する)
特に丸みを帯びた文字などは顕著で、「す」や「は」の丸の向き、「し」と「J(アルファベット)」の曲がる向きなどが混乱する事があった。
時代のおかげか、学習態度や成績、友人関係に難がなかったおかげか発達障害と診断されることはなかったが、時代が時代なら病名がついていたかもしれない。周りの友達には感謝している。今思うと友達もそんな感じの子が多かったけれど、みんな優秀で立派な職についているので結果オーライだ。
大人になっても、仕事でつまづくことはなかった。むしろ「賢く生きていていいね」などと皮肉を言われることも多かった。
しかし、男性社会の中に入ると途端に私は落ちこぼれになった。
この国では男性を持ち上げ、従わない女性は「賢くない」のだ。
賢い人たちは直感ですぐにわかるが、そんな時、いつも心は「あまり関わるべき人ではない」と制止してくれた。私はいつも空気のようで、目に入らない存在であったように思う。いじめや仲間外れにされる時の空気の中に常にいた。
2013年、お世話になった人たちが不慮の事故や病気で次々と亡くなった。まるで自分を疫病神のように感じた。年が明け、3月に可愛がってくれた祖母の訃報を受けると何かがプツンと切れてしまった。そのまま服薬自殺を図る。致死量を取ったつもりだったがこういう時の運だけは本当に強い。
急に休みを取った。何年も休みを取らず働いてきたこともあり、周囲の人には大変な心配と負担をかけしまったと思う。
後遺症も残ったが目に見えるものでなかったので、ただ長期休養した人のようになってしまった。でもそれでよかった。
とにかく、この2014年は休みを取ったことを良い事に何度も失踪を繰り返したw
弁護士の協力の元、遺言も書いた。
再びのチャンスも虎視眈々と狙って、最期の地を探した。
そして10月、フランスへ。
その時に出会った物や、知った事が、今の私の原動力になっている。自殺の経緯やフランスでの出来事は、いずれ書きたいと思うけれど、きっと長くなるのでゆっくりとやっていこうと思う。
それ以降の私の生命力は、ご存知のとおり。
賢くなくても地道にやっていれば、年収1,000万程度ならさほど難しくない事を知った。暗記力は間違いなく役に立っているし、能力不足のまま、他人の力で引き上げてもらうようなことが恥ずかしいことであると、当時は怖くて言えなかったけど、今なら自信を持って言える。他人の梯子が外れたら一緒に転落しなくてはいけないような生き方を、私は選ばない。それは「運」などでは決してない。
賢く生きていた人たちは、後々に必ず問題を起こした。心底、関わらなくて良かったと胸を撫で下ろしている。あの時たしかに私は落ちこぼれではあったが、優秀であったはずのホステスや女衒のような人達が今、何をしているのかを知る余地もない。楽をすると必ずそのツケが回ってくるようにできている。
今年は年収1,500万を目指したい。
賢く生きなくていい。
私は自分の直感をいつも信じている。
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