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手記|生成AIとライターの共存について
生成AIとライターの共存について。
ChatGPTを含む生成AIが現れてから早数年、画像も音楽も映像も、そして何より文章も、様々な分野で生成AIが活用できるようになってきました。
かく云う私も、稀に生成AIを使用して記事の挿絵(画像)を生成したり、読んだ本のあらすじなどを生成したりする事があります。(その場合は生成AIを使用している事の注釈を付けています)
そんな中、生成AIが登場した当初から言われてきた事があります。
それは、「生成AIでライターの仕事は奪われる/無くなる」という事。
たしかに、指示を出せば文章を自動で生成してくれる装置/ツールが出来たというのであれば、ゆくゆくは文章を人力で書くライターは不要になる、という考えに至るのは当然の事です。欲しい文章があれば、生成AIに指示を出して書いてもらえば良いのですから。
しかし、本当にそうでしょうか。
私は0~100%で考えた時に、100%無くなるわけではない、と思っています。
理由としては簡潔に言うと、
「人間の書いた文章や個人の書いた文章にはそれだけで価値があり、需要があるから」
です。
以下、もう少し掘り下げて述べていきます。
要点としては以下の3つです。
人間の意志、感情が込められている事に意味がある
あらすじや紹介文など、ある程度機械的に書ける文章は代替出来てしまう
生成AIはサポートツールとして活用出来る
それぞれ説明していきます。
■人間の意志、感情が込められている事に意味がある
一番の理由はこれです。
ゲームの感想文、本や漫画、アニメの感想文、映画の感想文、日々の思う事、日記、エッセイ…etc
それらの文章には書いた人の「感情/想い/意志…etc」が込められています。
もちろん、生成AIに「○○の感想を書いて」と指示を出せば、それらしい感想文は生成されるでしょう。
しかし、そこには"誰か"の感情は込められていません。
ゲームをして感じた事、本を読んで感じた事、映画を観て感じた事。
日々の思う事。
そういった、何かの物事に対して「感情を抱く」というのは生身の人間でなければ出来ない事です。
だからこそ、感想文であったり、エッセイであったり、そういった文章には生身の人間にしか生成できない「魅力」が残ります。
例えば、好きな人や尊敬している人がいるとして、その人が書いた文章って気になりますよね。
インフルエンサーであったり、個人的に注目している人であったり、そうでなくても全く知らない一個人であったり。
その人が何を観てどう感じたか。どう思ったのか。
何を考えたのか。
それは自動生成した文章には込められないものです。
だからこそ、そういった、人が書くことによって意味が込められる文章は代替されず、需要が残ると思います。
■あらすじや紹介文など、ある程度機械的に書ける文章は代替出来てしまう
逆に、あらすじや紹介文など、ある程度機械的に書けてしまう文章は生成AIでも充分出力できるので、代替出来てしまうと思います。
冒頭でも述べましたが、私自身も読んだ本のあらすじなどを生成AIを用いて出力した事があります。出力した後は、多少不自然なところや間違っているところを修正するだけでした。
なので、ライターに依頼をする立場の人であれば、そういった文章はわざわざ頼まずに生成AIで完結させてしまうかもしれません。
※私は商業の人ではないので実情は分かりませんが。
そもそも、あらすじや紹介文であれば公式HPやWikipediaを見れば分かりますし。
■生成AIはサポートツールとして活用出来る
要点3つ目。生成AIはサポートツールとして活用出来る。
生成AIは何もライターの対抗馬というわけではありません。
タイトルにも掲げていますが、生成AIはライターと共存する事が出来ると思っています。
それは、生成AIをライティングのサポートツールとして使う事です。
生成AIを活用できる部分があれば活用するのが良いですし、それで良い文章が書けるのであれば儲けものです。
例えば、何度か述べた通り、あらすじや紹介文を書いてもらって、それを参考にするとか。
後は、自身が書いた記事を渡して添削してもらうとか。
それ以外にも、書きたい内容の大まかなイメージを伝えて出力された文章の表現を参考にするとか。
使い道は沢山あります。
生成AIをサポートツールとして認知し、活用/共存していくという事が出来れば良いですね。
そういった事もあり、生成AIはライティングのサポートツールになる。つまり共存できる。という意味も込めて当記事のタイトルには「共存」というワードを用いています。
ただし、使わなくても良いところで使うようになってしまって、逆に工数が増えるという事になったら本末転倒なので、そこは要注意ですが。
■余談
私が最近読んだnoteの記事で、以下の記事があります。
話題になった記事なので、読んだ事がある人もいるかもしれません。
(そもそもスキ数が4桁行ってるし…)
上記の記事では、以下のように述べています。
絵の依頼って、大きく分けて2種類ある。
1つ目が、「誰でもいいから希望通りの画像を用意してくれ」というもの。
2つ目が、「この人のイラストがほしい」というもの。
そして、
1つ目はAIに代替された。AIの方が早くて安くて失敗してもノーダメで文句言わなくて権利関係面倒じゃなくて改変も加筆もし放題だから。ほんのちょっとのイラストスキルがあれば細部は簡単に修正できるし。
2つ目には影響がない。「その人」を求めるクライアントはLoRaがあろうがi2iができようが「その人」に頼むから。「その人の手描きである」という事実に、上で挙げたAIのメリット全部を凌駕する価値があるから。
と述べています。
"1つ目"というのは、私の当記事で言う所の「あらすじや紹介文など」に近いです。「描いた/書いた人の感情や想いが込められていない、もしくは書く人は誰でも良い」という部分では共通していると思います。
(厳密には、依頼されたイラストでも「その人が描いた」という事に意味があるようには思いますが)
そして"2つ目"の「この人のイラストがほしい」というもの。
私の当記事では、あくまで著名人だとかインフルエンサーだとかに限定してはいませんが、それでも「"人間"が描いた/書いたもの」であるという点では共通していると思います。
"1つ目"は代替され、"2つ目"は影響が無かった。
なので、やはり「特定の誰かが創ったもの」「人間の感情が込められたもの」にはこれからも価値(魅力)が残り、需要が有り続けるのだと思います。
■最後に
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
本当はもっと生成AIの活用事例だとか、専門家や専門機関、政府などが発表している資料などを引用出来ればもっとかっこいい記事になったのだと思うのですが、私にそういった引き出しはないです。
むしろ、その筋に詳しい人たちからすれば、当記事の内容はとっくに議論された事なのかもしれません。
それでも、日々生成AIについて見聞きする中で思う事があったので、当記事を作成しました。
とりあえず、今後文章を書いていく中で特に大切なことは「文章に自身の想いや感情を込める」という事だと思います。
また、「この人の文章や考えている事が気になる」といった人の気持ちに目を向ける事も大事なのだと思います。
私は今後もそういった気持ちに寄り沿いながら文章を書いていきたいです。
そして、「生成AIをサポートツールとして認知し、活用/共存していく」という事。
無理に使用する必要はありませんし、使いどころを見極めて、使った方が良い時は使えばよいし、使わなくて良い時は使わなければよい、のだと思います。上手く共存していければ良いですね。
以上。