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『ブルーピリオド』否定に否定を積み重ねる物語

ブルーピリオドを既刊15巻まで読みました。

所感として、この物語は「否定に否定を積み重ねる物語」「メタ視点にメタ視点を積み重ねる物語」「歴史の積み重ねを語る物語」だという感想を持ちました。

当記事では「否定に否定を積み重ねる物語」に焦点をあてて述べていきます。

※便宜上15巻までの内容を下記のように分類しています。
当記事で述べるのは下記のうちの「受験編」「藝大1年生編」「藝大2年ノーマークス編」です。

1話~25話(1巻~6巻) …受験編
26話~42話(7巻~10巻) …藝大1年生編
43話~47話(11巻)    …絵画教室編
48話~54話(12巻~13巻) …藝大2年ノーマークス編
55話~(13巻~15巻)    …夏休み広島編

■受験編「努力と戦略」

アニメでも実写映画でも受験編までが描かれていたり、原作漫画でも6巻分掛けて描かれていたりなど、ブルーピリオドの中では印象の強い話です。
※実写映画は観ましたがアニメは未視聴です

美術に興味が無かった八虎がふとしたきっかけで美術の魅力に取り憑かれる。美術予備校に入り藝大を目指してひた走る。

受験編の八虎にとって藝大は一つの大きな目標でした。その目標に向き合い、ひたすら油絵を描き続ける。描いた量がモノをいう。

そして、油絵での表現を突き詰める。

受験編を読んだ時点では、私自身八虎たちがひたむきに美術と向き合う姿に感銘を受けていました。

「手を動かしていないと怖い」という段階まで行くことがどれほどのものか

そして、八虎は念願の東京藝術大学に見事合格し、入学を果たします。

■藝大1年生編「油絵の否定」

八虎は無事に東京藝術大学に入学、しかしここから八虎のこれまでの努力を否定する展開が待っています。

それは「油絵で描く事の否定」です。

受験編の八虎は油絵を描く事に注力しており、それが彼の表現方法の全てでした。いわば油絵の中だけの世界です。

そして、藝大で八虎が入学した学科は絵画科油絵専攻です。
名前だけ見れば、油絵を学ぶ学科だと思うはずです。

しかし、実際に授業が始まるとそうではありませんでした。
授業で与えられた「自画像」という課題に対し八虎はもちろん油絵で作品を作ろうとします。テーマは「他者から見た自分」でした。

それに対し教授の一人(槻木教授)から発せられた言葉。

「これ、絵画でやる意味ある?」

ブルーピリオド第28話
槻木教授。抽象的な言い方をするので言葉の意味を汲み取りずらい。

八虎が掲げたテーマに対して「絵でやる必要があるのか」という問いでした。

恐らく教授にとっては当たり前の考え方で、深い意味を持って言った発言ではないのだと思います。
しかし、この問いは今後何度も八虎の脳裏によぎることになり、その度にその言葉の意味を理解していく事になります。

脳裏をよぎる

実際に、八虎含めて油絵専攻の生徒たちは課題に対して油絵以外の作品を提出する人が多いです。それこそ「ここって油絵専攻だよね??」と思うくらい。

掲げたテーマを伝える手段は平面世界の絵だけじゃない。

■藝大2年ノーマークス編①「藝大の否定」

ここまで「東京藝術大学」という場所を主軸に話が描かれてきたのですが、ここで外の世界である「ノーマークス」が描かれます。

この「ノーマークス」で東京芸術大学を含む美大や藝代の否定が描かれます。

ノーマークスは反権威主義を掲げて活動する芸術集団で、村井八雲の話では"反権威"の中には美大や藝大も含まれます。

代表者である不二桐緒フジキリオが美大や藝大に対して否定的な事を明言する場面はありません。

ノーマークス代表、不二桐緒(フジキリオ)

しかし、メンバーの中には藝大に対して否定的な考えを持つ人間もおり、その集団に接する事で八虎は美術に関する考え方や視野を広げていきます。
そして同時に藝大に対する考え方も変化していきます。

また、不二桐緒に関しては美術や美術史に関する豊富な知識や考え方、そして内外が認めるカリスマ性を以って八虎の「美術が楽しい」という気持ちを掘り起こさせました。


■藝大2年ノーマークス編②「ノーマークスの否定」

しかし、ここでノーマークスも更に否定されます。

「美大生は不当な扱いをされる」
「家族の悪いところを煮詰めたような集団」
「宗教」

あくまで内情を知らない人たちの言葉ですが、これも八虎の心に迷いを生じさせます。

藝大の副学長である犬飼教授もノーマークスの不二桐緒の事は「大嫌い」と言っていました。
※犬飼先生に対して八虎は懐疑的な意識を持っているのですが、そのこともあり犬飼教授と不二桐緒の対比関係が強く表出します。

犬飼教授

しかし、ノーマークスで経験した事は八虎にとって決して無駄ではありません。八虎の美術に関する向き合い方を変えましたし、作品の作り方に影響を与えています。

その証拠に藝大の「罪悪感をテーマに制作しなさい」という課題に対し、八虎はノーマークスでの経験を振り返りながら取り組みます。

それを経て制作した作品は「不二桐緒の事が大嫌いな犬飼教授」から好評を得るのでした。

計らずも「不二桐緒の事が大嫌いな犬飼先生」が「不二桐緒の影響を受けた八虎の作品」を褒めるという構図になったのです。

※犬飼教授は高度な視点から作品の講評を行います。なので誰かの作品を褒める事はかなり珍しいのです。

■後記

今回の記事では、「ブルーピリオドは否定に否定を積み重ねる物語」だという点に焦点を当てて書きました。

原作で1~6巻までかけて描かれてきた"油絵で表現すること"が藝大に入ってから否定されるし、その藝大の存在すらもノーマークス編で否定されるし。

さらにさらにそのノーマークスすらも否定するし。

ちなみに本文中では書きませんでしたが、1年生の夏休みの話で訪れたベラスケス展で"油絵で表現することの否定"に対して更に疑問を呈する話もありました。

でも八虎はその否定の積み重ねで様々な視点から物事を観る事によって作家として成長していくんですよね。

油絵とひたむきに向き合ってきた日々も無駄じゃないし、藝大で油絵以外の表現に視野を広げたのも意味があるし、ノーマークスのフジキリオの考え方から受けた影響も八虎の美術に対する考え方の視野を広げたし。

ノーマークス編の最後の「不二桐緒の事が大嫌いな犬飼先生」が「不二桐緒の影響を受けた八虎の作品」を褒めるという構図は巧いな、と思いました。

外部からは否定されるノーマークスが八虎にとっては良い影響を与えていたという事です。

そんなブルーピリオドの話を読んで、私自身思う事はありました。

文章を書く事に於いて「ほんとにこのテーマで書く意義があるのか」とか「表層からは見えない部分や積み上げられてきた歴史を知る事って重要だよな」とか「でもやっぱり何かを作るために実践した量や練習量って大事だよな」とか。

多少なりとも「何かを制作する事」に関する考え方のプラスになったと思います。


以上。








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