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【エッセイ】息子さんのはなし、のはなし。

先日、妻の書いたダウン症のある息子についてのエッセイ。ダウン症が判明したときの落ち込んだ様子が書かれていました。

その中で、ぼくの様子も書かれていたので引用します。


夫は覚悟していたのか、ほとんど落ち込んでおらず、泣いたり取り乱したりすることはなかった。どちらかといえば未知のことに少しワクワクしているようでさえあった。彼は社会に対して自分のものさしをもっている。

「息子さんのはなし」mikako*



その通り、落ち込んだということはほとんどなかったのですが、その理由を少し書いてみようと思います。

まずはダウン症が判明するまでの経緯ですが、出生前検査を受けていないので、産まれるまではもちろんわかりません。初めての子どもなので、産まれてからも顔つき等でもわかりません。むしろ、めっちゃイケメンと思ったくらい。ダウン症を指摘される前に、心室中隔欠損という病気があることを知らされ、ここでかなりのショックを受けました。

手術でそれは完治するわけですが、無事成功するまでは、子どもを失ってしまうんじゃないかという恐怖でいっぱいでした。なので手術の前まで、すべての愛情を注いで、何があっても後悔しないようにと思っていました。

術後に発達の遅れがあるので、染色体検査をすることになりました。検査結果が出るまでは2週間ほどあったのですが、その特徴を調べてみると、当てはまることも多くあったので、そうかもな、と思いました。

ああ、もしかしてこの子は、自分とは違った道で生きていくのかも。てことは……ああ、よかった。俺みたいに余計なことで悩まなくて済むかも。

それが、最初に思ったことです。
ぼくは、今では自分のことが嫌いではないですし、この人生が好きですが、この人生の親だったらヒヤヒヤして仕方がないし、あまりに自由にやり過ぎて、もう怖いくらいです。代わってあげられなくて、ごめん、と思うかもしれません。でも、息子はぼくが挑んできたコースとは、最初から少し違うのだとしたら、そんな余計な心配は少ない気がしてきました。

自分と息子を重ねることもしないだろうし、息子は息子としての人生があるってことの線引きを、明確にできそうだなあと思ったのです。

調べれば、いろんな支援もあるし、今まで触れ合えなかった世界を知れるチャンスかもしれない。それは何か楽しいことのように思えました。

そう思う根本には、神様を信頼しているってことがあります。これは特定の何か神様というわけではなくて、自分の中の神様なんですが。あるいは、亡くなった母であるとも言えるかもしれません。

自分に起こることは、自分にとって「大丈夫なこと」になっている。たとえば、楽しみにしていた運動会のために、てるてる坊主を吊るして晴れを願ったとして、当日、雨が降ったりする。そのとき、神様(お天道様)を信じてるので、きっと雨を降らしたことが正解なんだろうって思う。

雨がやんだときに虹が出て、これを見たかったって思ったりすると、やっぱり正解だったとか思う。それは自分ではコントロールできないもので、できないからこそ、思う以上のことが人生にやってくるのだと。

それでもお願いしたいときは、お母さん、よろしくお願いします、と祈ったりする。その祈りで自分がすっと落ち着いたりする。

そういうことを、人生経験のデータで結果が示されてきたから。

つまりそれは、息子が自分には未知の部分に連れていってくれ、たぶん面食らうこともあると思うけど、結果的によりぼくを豊かな人間にさせてくれる、そんな気がしてるのです。

だから、この子にはもう、「ありがとう」しかないです。

人間は「変わらないこと」に対して安心感を抱くようになっているものです。だって、それは生存を脅かさないものですからね。うまくいっているときほど。

ですが、宇宙というものに唯一、絶対的なことがあるとするなら、それは「変わり続ける」ということです。変わっていないように見えても、少しずつ年老いていきますし、心の状態もお天気みたいに、変化しているのが普通のことです。人との関係性も変わりますし、価値観も変わっていくものです。あらゆることは永遠ではないかもしれません。でも、もしかしたらそれは循環している、ということかもしれません。循環しているなら、あらゆるさよならさえも、再会の合図かもしれません。そして、再会したときは、また少し違う豊かさを運んでくれる気がします。

だからこそ「このとき」が、どれほどかけがえがないのかを感じます。べつにそれは一秒たりとも無駄にするなとかいうことではなく、泣いたり苦しんだりする時間も、それもかけがえがないんだよってことです。退屈〜とか、疲れた〜っていうそんなことすら、かけがえがなく、ちゃんと自分が人生やってるよっていうしるしだっていうことです。

なんか話が逸れちゃったような気がしますが、とにかく、息子が今を生きていること、その瞬間が長く長く続くように、これからも日々を重ねていきたいのです。


追伸
君の名前には、「永く想う」という意味があるんだよ。

妻のエッセイ↓

2歳のころの手記↓



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