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『行政学〔新版〕』(有斐閣アルマ)著者インタビュー【後編】

こんにちは、有斐閣書籍編集第二部です。

 『行政学〔新版〕』(有斐閣アルマ)の刊行にあたって、著者である曽我謙悟先生(京都大学)に、お話をうかがいました。

今回は、その後編です(前編はこちら)。

◆委任と分業のレンズを通して、現実を見ると・・・

――改訂において、実態の変化も意識されたということですが、現在の実態をとらえるうえで、本書のような教科書は、どのような形で活かされるのでしょうか。

曽我 序章で、「読了後、この世の中が委任と分業の網の目として見えるようになれば、あるいは、この社会の問題点がその網の目の綻びとして見えるようになれば、本書の試みは成功したことになる。」と書いていますが、実際、日々生じる思いもかけなかった事態においても、委任と分業の構造がかかわっているように思います。

 新型コロナウイルス感染症への行政の対応などは、その典型例だと思います。分業という観点からは、保健所が担う保健衛生機能と医療機関が担う治療の間の連携、市町村、都道府県と厚生労働省、さらには世界保健機関(WHO)などの国際機関との連携、さらにマスクなどの物資確保や人流抑制など社会経済にかかわる点では経済産業省や内閣官房・内閣府がかかわってきます。未知の感染症だったことから、当初はそれぞれの機能を果たすことが難しかったわけです。しかし、次第にわかってくることが増え、ワクチンや治療薬などの開発も進むと同時に、感染症対策が長期化してくると、それぞれの機能間の対立や調整がむしろ課題となってきます。そうした統合機能をどこが果たすのか、そこでの政治と行政の役割はどのようなものか。いずれも行政学の知見を持っていることによって、随分と見通しがよくなることと思います。

――本書の帯において、戦争の遂行もまた行政の対象の一部であるという文章を入れました。現在、世界中の関心を集めているロシアによるウクライナ侵攻については、行政学から、どのようなことが言えるでしょうか。

曽我 ウクライナ侵攻については、もちろん国際政治学や国際法学が正面からそれを扱うところですが、行政学の議論が関係するところも多くあります。例えば、軍隊というのは、政府の行政機構の一部ととらえることもできます。ヒエラルキー(階層制)組織の典型的な形として、本書でも取り上げています(→第5章第1節)。また、政府部門と民間部門の関係を論じるところでは、行政を成り立たせるリソース(資源)は、社会・経済から調達するものであり、例えば行政職員というものも、人材という資源の調達であるととらえています(→第13章第2節)。これを強制的に行う形態の例が、徴兵ということになります。さらに、政府部門と民間部門の関係では、民営化などを論じており、近年では政府の独占的な機能と考えられてきた安全保障や治安においても、実施部分での民間組織の利用が増えていることが示されます。

 こうした論点はいずれも、今回のウクライナ侵攻においてもかかわってきます。軍事的な侵攻と防衛も、その根底には、実際の行動を支えるしくみがあるものです。そうしたしくみを理解するうえで、行政学の視点は大いに役立つと思います。

◆行政学と教科書

――少し話が変わりますが、行政学の教科書について、お聞きしてみたいことがあります。
 
 行政学においては、単著で多くの教科書が出される傾向が、強いように思います。また、近年、その多くが改訂を行っているように思います。これらの背景には、どのようなことがあるのでしょうか。

曽我 言われてみると、確かに政治学の他の領域に比べて、単著の教科書が多いですね。

 その理由は、一つには、行政学の対象が幅広いだけに、何を記述するのか、どこに重点を置いて説明を加えるのかという点で、いろいろなタイプの教科書を作りうるということだろうと思います。行政という具体的な組織や制度が対象となり、その変化も激しいので、改訂作業の必要を感じることも多いのではないでしょうか。

 もう一つの理由は、先程の点とも関係しますが、対象の幅広さとも関係して、学問としての視点や立場にも多様なものがあることの影響もあると思います。アメリカの行政学も、幾度か、アイデンティティ・クライシスが言われてきましたし、行政学とは「自分探しを続けている学問」と行政学者自身も言ってきました。政治学、経済学、社会学、法学などのいずれに近い立場をとるかによって、多様なあり方が存在しているのが行政学という学問なのだと思います。

 だからこそ、自分たちの研究成果を体系化して、まとまった形で伝えたいという思いも強いのではないでしょうか。1990年代の後半に刊行された西尾勝先生村松岐夫先生の教科書は、その代表例だといえます。同時に、お二人の教科書も、行政学の研究者が増え、研究蓄積が厚みを増したことを反映しているとも思います。だからこそその後も、これらを決定版とすることなく、むしろこれらに触発されるかのように多くの教科書が続いたのではないかと考えています。

 以上は作り手側の理由ですが、もちろん需要もある、つまり、一定数の読者が存在しているということもあるでしょう。公務員試験があることなどから、教科書としてのニーズが高いのだとも思います。そうした点も含め、政治学の下位領域の中では、最も法学に近いといった特徴があるといえるのかもしれません。

◆第3版に向けて

――少し気が早いですが、将来、第3版を出すとしたときに、本書の中で、大きく書き変えることになりそうなところはどこでしょうか。別の言い方をすると、現在、行政学において、どういった分野の研究が盛んに行われているのでしょうか。

曽我 本書の第Ⅱ部、組織と人に関する部分だと思います。社会科学が全体として実験を用いるようになり、因果効果の検証を進めるようになっていますが、行政学もその例外ではありません。サーベイ調査を用いた実験が利用しやすくなり、行政職員を「被験者」とすることも可能になってきました。行政で働く人々がいかなる条件のもと、どのように行動するのかということが、どんどん解明されています。そういった研究成果を取り入れることが、今後の課題だろうと思います。

 同時に、実態としての新しい動きなどは、第Ⅳ部の政府部門と民間部門のところで多く生じていますし、それをとらえようとする研究もまた、多く生み出されています。政策のリソースとして情報が果たす役割が大きくなり、その対応から行政のあり方自体も変化していく。そうした実態を描いていくことも必要になるでしょう。同様に、非営利組織(NPO)をはじめとするサードセクターのあり方や、市民社会のあり方が、行政のあり方を変えていく側面なども、実態の変化と研究の双方が進展しているところだと思います。

――そうした新しい動向が、本書の体系の中にどう組み込まれていくのか、今から楽しみです。ただ、今回よりも大きな改訂になりそうで、次は、一回り大きなサイズ(A5判)の本にしたほうがいいかもしれないです。

 最後に、あらためて行政学の役割について、おうかがいして、このインタビューを終わりにしたいと思います。

曽我 行政学は、学問として他の学問分野から方法論などの影響を受けつつ、実態としての行政の変化をとらえ続けようという、その両方向から、革新を続けていると思います。なかなか、行政学の側から他の分野に影響を与えたり、あるいは実態を大きく変化させたりということはなく、派手な学問ではありません。しかし、地味な学問には地味な学問なりの役割があるのだと、信じています。

 行政なくして私たちの社会が成り立たないように、行政学もまた今後も変わらず、社会の中で必要な存在であり続けるのだと思いますその今後を反映していく形で、本書も引き続き、改善を進める機会があればと思っています。有斐閣さんも、売れていない本の改訂は引き受けてくださらないでしょうから、次の改訂版を出させてもらうためにも、一人でも多くの方が手にとってくだされば幸いです。最後は宣伝になってしまいました(笑)。

(2022年5月20日)

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