大切な人を残していかねばならないときに考えること。
とあるSNSでこんな投稿が流れてきた。
それは余命1~2週間だと医師に宣告されたというもの。
その方は女性で、もう少しで2歳になるお子さんがいるらしい。
ショックを受けると同時に、子供に苦しむ姿は見せたくないから最後の時は病院で迎えようと思う。という言葉で締めくくられていた。
この投稿を見て少し思うことがあったから、ここに残しておこうと思う。
私はこの投稿主さんの考えを否定する意図も、責める意図もない。
ただ、大切な人を失ったことのある人間として少しだけ呟いておきたいだけであることを、これからこの記事を読むあなたにはご了承いただきたい。
Noteでは何度か書いたと思うが、私は2016年に父親を亡くしている。
もうあれから8年も経つのか…
父は脳梗塞の治療をしながら生活していたが、脳内出血を起こし半身不随・言語麻痺を抱えて約10年ほど介助なしでは生きられない生活をしていた。
最後の時は白血病とも戦っていた父。
幼いころから白血球数が高く、日本人には珍しいかなり進行が遅い白血病だった。
海外ではよくある方の白血病らしく、老衰で亡くなるまで共存できることも珍しくないのだとか。
それでも父は運悪く、という表現でいいのかは分からないが、白血病の進行に負けたのだ。
私は10年間、言葉も上手く出せず車椅子で生活する父を見ていた。
本人はこちらの言うことは100%理解できていたから、話せなかったことはかなりのストレスだったと思う。
実際上手く伝わらないときは「あーぁ。」と大きなため息と共に悲しい顔をしていたものである。
私は父の姿を母の次に近くで見ていた。
医師からの治療方針や状況説明の時は必ず同席していたし、治療について母と話をしながら決めてきた。
もちろん私がしたことは母が納得いく方向に背中を押すくらいではあったが、いつだって真剣に向き合っていたつもりだ。
だからこそ言えるのは、苦しいときこそ側にいたいという子供の気持ちだ。
祖父を亡くした時、私は13歳だった。
今でも鮮明に覚えている。
意識がない祖父の枕元に「早く元気になってね!」と書いた手紙を置いた。
その数日後、夜中に母に起こされ「おじいちゃんがお家に帰ってきたよ。」と言われた私は「おじいちゃん、元気になったの?」と聞いた。
危篤状態で意識もないのに、元気になるわけもない。それでもあの頃の私は寝惚けていたこともあって「元気になったから帰ってきた」と信じて疑わなかった。
私の手紙は読まれることもないまま「おじいちゃんに天国で読んでもらおうね。」という言葉をかけられ、棺桶に入れられて祖父と共に灰になった。
苦しむ姿を見せたくない。
私も2歳児の母だ、気持ちは痛いほどわかる。
でも私は苦しむ姿を見せることになっても、娘に頑張っている姿を見せたいと思っている。
もちろん自分が当事者になったら変わるかもしれない。
でも最後の瞬間に側にいれないことは、残される側からしたらあまりにも辛すぎることを知っている。
苦しむ姿を見ていたからこそ「あぁやっと楽になれたんだ。」「ゆっくり休んでね。」という気持ちになれるのも知っている。
この話題に正解はない。
捉え方も人によって違うだろう。
だからこそ、私は大切な人を亡くした立場として、残された立場としてこういう考え方をする人間もいたのだと残したくなった。
最後に、これだけは明言しておく。
大切な人を残していかなければならないとき、どんな判断をするかは人それぞれだ。
先ほど書いたが、正解はないというのは万人に当てはまる正解はない。ということだ。
あなたが残す相手のことを必死に考えて出した答え。
それがきっと正解なのだ。
可能であればなぜその道を選んだのか、手紙でもいい。録音でもいい。
言葉として残してあげると、いつかその相手も救われる日がくるんじゃないだろうか。