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祖父に会いに行かない元日

我が家には元日のルーティンがある。家族全員が朝8時にリビングに集合して、まず新年の挨拶をする。それから食卓を囲んで、おせちを食べる。くだらないテレビを見ながら、落ち着いたら拝島大使という近くの立派な仏教寺院へ初詣に行く。おみくじを引いて、家族写真を撮って、屋台で焼きそばとたこ焼きを買ったら、祖父の入居する老人ホームへ挨拶に向かうのが通例だった。

けれど、今日はきっと人生で初めて、祖父に会いに行かない元日を過ごした。1ヶ月前に祖父が亡くなった。

父方の祖父の家には、僕が小学2年生になるまで住んでいた。僕はおじいちゃん子で、祖父の家にはたくさんの思い出が詰まっているけれど、家族にとっては少し複雑だ。母と祖父がうまくいかなかったから。きっと子供にはわからない、たくさんのことがあって、僕ら家族は祖父の家を出てマンション暮らしをはじめたのだった。

それからずいぶんの時が流れて、祖父が脳梗塞で倒れた。足を悪くして介護が必要になったのだけれど、先述の理由もあって、結局家族では面倒を見きれずに老人ホームへ入居することになった。そのときにはもう祖父は呂律がまわらず、言葉でのコミュニケーションが困難になっていた。

毎年お見舞いへ行くたび、祖父はなにかと“何かに”怒っていた。理由はそのときどきで様々だったけれど、あるときは介護士さんに。またあるときは他の老人たちに。過去の思い出に。現在の親戚に。僕ら家族がお見舞いに来た瞬間だけは、パッと表情が明るくなるのだけれど、少し話し出すと途端に聞き取れない言葉で誰かへの怒りをまくしたてるのだった。

そんな状況だったから、お見舞いへ行く頻度はみるみる減っていった。父だけは毎月お見舞いに行き、僕らが聞き取れない言葉も聞き取れるようだった。そんな関係が、もう10年くらい続いたのだと思う。

「ジジがもうヤバイかもしれない」

父から急な連絡をもらったのは、昨年10月ごろだったと記憶している。祖父は突然体調を崩し、あっという間に入院してしまったのだった。僕はすぐに病院へ向かった。そこで目にした光景は、きっと生涯忘れないと思う。そのとき感じたことをメモに残していたので、そのまま以下貼り付ける。

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だらしなくぶら下がった点滴に
じいちゃんの名前を見つけるまで
人違いなんじゃないかと思った

入れ歯を失くした口は陥没して
目には白いモヤがかかっている
その変わり果てた姿に目を疑った
もう起きないようにも思えた

おい 父が何もなかったみたいに声をかける
ぴくり とひとつ か弱い反応
何か言いたそうに 何も言えなかった
それを見て微笑む父に親子の頑丈さをみた

せめてじいちゃんの手を握りたかった
だけど触ることも許されなかった
布越しにそっと手を置く

話しかけた 返事はなかった
話したかった 話せなかった
人を生かすのは 本人のためでなく
周囲の人のためなのかもしれない

人はこんな風にして死ぬのか
こんな風に生かされてしまうのか
それでも生きようとしてしまうのか

命のふしぎ 人間のふしぎ
見ていることしかできない
自然と涙が溢れた 頬をつたった
姉は小さく嗚咽した
ぼくらの魂がふるえていた

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いわゆる「危篤」状態を脱してから1週間後。お見舞いがてら、祖父を撮った。すっかり痩せこけて、小学生のころの僕が「おじいちゃん!」と呼んでいたその人とは似ても似つかなかったけれど、それでも、やっぱりおじいちゃんだった。

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祖父は僕をみて、パッと表情が明るくなった。「お見舞いに来ました」と告げると、何かを言おうとして、けれど困った顔を浮かべたまま目線を宙に泳がせた。どうやら僕の名前を思い出せないようだった。

そんな祖父の様子を目の当たりにして、僕は寂しくて、少し嬉しかった。祖父はここ数年、ずっと怒っていたから。安らかな最期を迎えるために、人は忘れていくのかもしれない。大切なことも、そうでないことも。

「喪服を買っておきなさい。」

写真を撮った日の帰り道、母は静かに告げた。父は何も言わなかった。つまりそういうことだった。そしてその数週間後、祖父は静かに息を引き取った。享年88歳だった。

亡くなってから知ったのだけれど、祖父は神道だった。そして神道では、お葬式を経て遺体を焼く前日に、遺族が遺体を洗う習わしがある。つまり僕ら家族が遺体となった祖父の身体を洗い、祖父を神様にしてあげるという儀式が必要らしかった。

冷たくて、硬かった。ほんとうに。あれだけ遺体をまじまじと見て、触るのは、きっと人生最初で最後だろう。

祖父の顔は安らかだった。僕らもやわらかな笑顔で見送った。それでも透明な液体は、目ん玉の奥底から染み出てくるのだと知った。生きているふしぎ、死んでいくふしぎ。あらゆる感情を追い越して、また、魂がふるえていた。つよくつよく、ふるえていた。

おじいちゃん。もう目を覚まさなくて大丈夫です。もう誰にも怒らなくて大丈夫です。ほんとうに、お疲れ様でした。ゆっくりお休みになってください。

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年が明けました。今年もまた、最初の1ヶ月だけ、できる限りブログを続けてみたいと思います。とにかく、書きたいと思ったことを書く。を、昨年も1ヶ月間続けてみたことで、自分でも気が付かなかった自分の気持ちが引っ張り出される感じがあったんですよね。それにすごく驚いて、気持ちがよくて。なので今年もチャレンジしてみたいと思っています。



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