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3.11から13年南富良野湖畔野球場から垣間見る野球場の復興

 今日で東日本大震災から13年だ。小学6年生で卒業式前だったあの日のことは、今でも鮮明に覚えている。崩れ落ちた立体駐車場、マンホールから溢れる水、収まることの知らない余震と緊急地震速報。しかし、それを嘲笑うかのような満天の星空まで私の記憶には残っているものである。地震発生のその夜にうちのばあちゃん家でランプを灯して食べたガスコンロで作った焼きそばの味まで。


自身の小学校からみた風景


 やはりこの時期は少し気持ちが暗くなることが多い気がする。今年になり、アメリカ時代にとてもお世話になった兄貴のような友人の訃報もあり、それもこの時期に重くのしかかってきた。

 それでも、人間強く生きていかなければならないし、自分に関わってくれる全ての人が大切なので今日を機により一層、みんなとのつながりを大切にしたいと思う。そして、すごく尊敬していた彼の分まで精一杯生きる決心だ。

南富良野町役場訪問


 2023年から富良野ブルーリッジという北海道の独立球団に入団した。その際、選手数名による各役場への訪問があったのだが、私は南富良野町、占冠村へ向かった。

 占冠村は2021年士別に在籍時に誕生日の日に試合があったのでイメージは自分の中にあった。しかし、南富良野はこの時が初の訪問であった。

 行き帰りの車で南富良野町の話を、代表と球団の役員の方からたくさん伺った。そこで初めて、南富良野での洪水災害の話を耳にした。訪問したときには、洪水の爪痕は時間が経ってるからかあまり感じられなかった為、話を聞いて驚いた。

 こちらに、当時の写真の公開があるので是非このnoteに辿り着いた方は目を通して見てほしい。

南富良野町HPより湖畔野球場の当時の様子

 しかし、いざグラウンドに立ってみると、川の小石のようなものが多くある球場だった。バケツを使って必死に集めたのを覚えている。

 これと重なったのが宮城県にある野球場だ。私が、野球の少年団に在籍していた頃にプレーした場所だった。

 震災一ヵ月後くらいに両親が沿岸部の被災現状を見せたかったのか、近辺に車を走らせてくれた。全ての崩壊が衝撃的だったのだが、自分がプレーした場所にガレキの山が重なっていたことにはとても悲しい気持ちになった。

 場所というのは様々な人のそこで何かをしたという思い出に残るもので、その変わりようを見たときには、本当にまたその場所で何かすることはできるのだろうかと思ってしまう。野球を見たり、したりする人は想像してみて欲しい。自分のいた球場がもしもなくなったらということを。南富良野湖畔野球場の過去の写真を見たとき、同じことを考えた。しかし同時に、いまの復興ぶりを見て、この球場が盛り上がりをみせたら南富良野のひとたちは喜んでくれるのではないかとも思った。

富良野ブルーリッジXより球場でアップする選手の様子

南富良野での3連戦

 2023年度は3試合連続の南富良野での試合であった。そのうち1つは試合後の少年達がいっぱい来たというシーンもあった。富良野市内や、他の地方から足をはこんでくれる方々も多かった。より、この球場でやる試合を特別なものにしたいなと思った。

 この球場での成績は13打数5安打7打点
(気持ちが入ってしまう気分屋であるのは少し自分の弱さだと思っている)
上々の成績で終わることができた。

雄ダイな自然と日本最年長プレーヤーのダイ


今年もブルーリッジで


今年も富良野ブルーリッジにお世話になることになった。2024度の日程はまだ出ていないが、南富良野湖畔野球場で試合をすることがあると思う。

 このNoteを見た人は是非、南富良野に試合を観に来てほしい。グラウンドの質感とか周りの風景とか過去の写真などを見て歴史を感じ取ってくれることも、私達がそこで野球をする意味のひとつだと思う。
 
 自分も南富良野湖畔野球場を復興させてくれた、たくさんの人達に感謝をしながらプレーしようと思う。本当に野球は1人でも9人でもできない事を実感している。たくさんの支えの上でなりたっている、とてもありがたいことだ。そこでプレーさせてもらう自分は、そのたくさんの想いを表現しなければならないと思う。

 もしこのノートを最後まで読んだ人は復興という視点で色んなことを今日考えてみてほしい、そして緊急なときは繋がりってとっても大切だから周りにいる人達がもう一度大切なんだなってことをかんがえてくれるきっかけになれば嬉しいです。

 みなさんいつも本当にありがとうございます。



#防災いまできることを考えよう #独立リーグ  
#南富良野 #東日本大震災

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