届かない想い なんどでも言い続けろ
大丈夫、大丈夫、周りを見てよ
みんなひとりじゃないね
ありがとう それだけで明日は変わる
だからいつも 笑って言いたい
さて、今回はオムニバス形式のnote記事だよ!
なるほど、別人だもんな
ふと、つぶやく。
これまで何度もすり抜けた
ずっと開くことのなかったダンボールも
趣味であったスノーボードもゴルフも
ほぼ毎日利用している愛車も
いつしか積分は反転していた。
「…なるほど、別人だもんな」
いいないいな、人間っていいな
”人”ではなく、”人間”という言葉
人の”間”にある物はなんだ?
Humanではなく、Human beingという言葉
Beingってなんだ?
”自然”の対義語は”人工”だなんて、なんとおこがましい。
人の間にあるのは自然な距離感
自然はあくまで人間を超越した存在であろう。
人間自体が自然で、地球そのもので、
人間が作り上げたものも、同じく自然のものだ。
人と人の間の自然を大切に生きて欲しい。
自然を大切にしてほしい。
なんだか距離感のおかしい人、付き合いにくい人がいるのは、
その距離が、自然が、脅かされているのだろう。
全ては動的平衡にある。
人は動的平衡にあり、間を自然が埋め尽くすことで人間になる。
本来はナニモノでもなく、自然の一部であったヒト。
自我を持つことは、固定化することであり、
固定化は、自然にあらず、諸行無常にあらず。
固定化により、他者や自然との距離感は崩れ、
自然は大切にされず、居心地は悪く感じるようになる。
固定化された他社の自我によって、
アナタの動的平衡が乱されるようになる。
それがいわゆるストレスだったり、メンタルヘルス的疾患の原因だ。
すなわち、自身の動的平衡を確保し、
固定された自我の個体から距離を置くことをお勧めする。
Be water, my friend!
ありがとうで成り立つ世界
「ありがとう」の価値を見直すべきだ。
資本主義社会において、「ありがとう」の価値は地に落ち、
全ては貨幣(資本)の交換に置き換えられた。
マーケティングで重要視されるのは、提供価値だ。
プロダクトが持つ価値が、相手の期待や支払う資本を上回ることを目指す。
そうすると自然と物は売れる、それがプロダクトマーケットフィット。
全てのやり取りが貨幣の交換、
等価交換によって成り立っているのだろうか?
本当に等価なのだろうか?
金を払えばいいのだろうか?
物を安く作って、売上が上がればよいのだろうか?
どんどん安いものを求めるのもどうだろうか?
こんなアタリマエのことを、教わらなければモノが売れない時代なのか。
サービスを提供し、
その対価としてお金を貰って初めて「ありがとう」なんだろうか?
お客様は神様なのだろうか?
順番が逆、、、そもそも違うと僕は思う。
神も、上も下もないと思う。
全てのベースには、「ありがとう」がある。
その上でのお金ではないか。
まずはオーダーしてくれて、ありがとう
物事やサービスが行われたことに対し、ありがとう
関わってくれてありがとう
サービスに満足してお金を払う
サービスの対価としてお金を貰う
それが、天上天下唯我独尊として、互いに尊重する。
「ありがとう」で埋め尽くされた世界
見えていたはずのものを見落とした世界
ありがとうのプレゼントだ
未来を変える、たくさんのありがとう で満ちた世界へ