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今やっと幸せだと気付いた

クリスマス、年末年始、この季節になると思い出す子供の頃の記憶。
自分が当たり前だと過ごしてきた子ども時代は
一般的でなかったと、狭い世界から抜け出した大人になるとより強く感じる。

クリスマス、幼い私と妹はいつも2人で過ごしていた。
姉がいるがグレて仲間達と遊ぶためほとんど家にいない。
離婚し幼い女の子3人を引き取った父は
貧しい中、必死に休みなく働いていた

クリスマス、それでも遅く帰る父が帰宅途中のスーパーで買ったであろう安物のケーキが毎年楽しみだった。
クリスマス、という世間に触れた気がしてとてつもなく嬉しかった

ある年のクリスマス、帰宅した父の手にはケーキの箱はなく
私と妹は、うつむき疲れた背中の父に「ねぇケーキは?」と聞いた
おどけた父が実はありました!と箱を出してくれるのを期待していた

けれどなかった
「ケーキ?…んなもんない」と吐いた父
3千円すら捻り出せぬほど、困窮していたのだろう
今はわかる
父子手当なんてない時代
少しの贅沢も、たった3000円の贅沢も
できなかったんだ
今でも鮮明に思い出す

泣き叫ぶ姉妹、妹はまだ幼い
私だって幼い
不器用な父は慰めることもできない
泣きたいのは父も同じだろうに
ただ、ケーキがないんだ、それだけが
悲しくて悲しくて悲しくて

泣き疲れた妹と2段ベットの下に2人で身を寄せ合って寝ながら
ケーキはないのだ、クリスマスだけど
うちはケーキも食べれないんだ、と
けれど、幼くしてもう
諦めていた気がする
テレビから流れてくるキラキラしたクリスマスは
うちには来ないということを
受け入れていた気がする

「メリークリスマス」
泣き疲れて眠りについた妹にそっと呟いた
2段ベットの天井を見ながら
少しでも「クリスマスをした家庭」に近づきたくて口に出した「メリークリスマス」は
明日を生きるには充分な魔法の台詞だった
それだけが
世間とつながる唯一だった
暗く散らかった部屋の2段ベット
泣きながら眠った夜を
いまでも鮮明に覚えている

あれから数十年、母親になり
子供と旦那さんとクリスマスを祝えるようになった
ささやかだけれど、
ケーキを食べ、息子のリクエストを聞き料理を作り
シャンメリーをあけてあげる
そして、満足し眠りについた次の日の朝には
プレゼントが待っている

私が欲しかった景色
私が体験したかったクリスマス
世間と同じ、クリスマス
普通に、なりたかった

当たり前に、家族とケーキを食べられる
3000円に困らない
ささやかでいい
やっと幸せだと、感じれるようになった
普通でいい
変わっていなくていい
ただ、家族と顔を合わせて
食べ物に困らない生活
子供を喜ばせてあげられる余裕のある日常ができている

それだけで
幸せだと


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