服をつくるんじゃなくて、文化をつくるんだと思う。
ある一時期、弊社ステイト・オブ・マインドでは毎週金曜日の夕方に、デザイナーブレストMTGというものを開催していた。teshioniのデザイナーと弊社の社員を集めて、自由に議論するというものだ。
どういう経緯で始まったのか、ちょっと思い出せない。付箋を使ってやるみたいな、定義どおりのブレストではなかった。
そしてなぜそうなったのか分からないが、ある時期から議論は重く、極めて抽象度の高いものになっていった。
ブランドとは何か? そのカルチャーは何か? 時代とは? 服装とは? SNSとは? ブランドのあるべき姿は何か?
若きデザイナーたちの思考、さらに若い弊社スタッフたちの皮膚感覚。わたしにとっては重ねた馬齢が嘆かわしくも、それでも本質的な何か、インターネットでブランドをつくるという仕事の中核で脈打つ何かに、かすかに指先が触れたようにさえ思える、すばらしく有意義な時間だったと思っている。
これらのnoteでは、その議論の場で、あるいは日々の談話において学ばせてもらったことの構造化を試みている。もし願わくば、次のブランドをつくろうとする若きクリエイターの役に、少しでも立てればと思う。
先日、teshioniで要求されるデザインの意味論について、パターンメイキングのプロセスという視点から構造化した記事を書かせていただいた。
teshioniにおいてデザイナーは「文化の牽引者」と定義されており、パタンナーはその文化を可視化する「翻訳者」に相当する。
英語で書かれた小説は、直訳しても日本語で読める小説には、絶対にならない。原作者が文章に込めたであろう「意味」を主観的に「解釈」して、自然な文章に「意訳」することで、はじめて感情を表現した日本語の小説になる。
パターンメイキングもそれと同じで、ブランドの文化とそこから枝分かれする文脈をもとに、デザインを「解釈」して、立体物として「意訳」することで、はじめてそのブランドにとって意味のあるプロダクトになると考えている。
それでは、文化とは何か?
ブランドにおけるカルチャーとはどういったものか?
先述したデザイナーブレストMTGにおける主題は、まさにこの点にあったように思う。
①界隈とカルチャー
カルチャーとブランドの関係を考えるにあたり、まずは「界隈」という概念を捉えなければならないと思う。
界隈を定義するのは難しい。論理的に掴もうとしても、本質が指の間からぬるりと抜けていく感じがする。
なのですごくぼんやりと捉えているものを、感覚的に言語化してみたい。
たとえば「下北沢」。
界隈とは土地を指すわけではないのだが、例としてこの街の名前から反射的に想起されるものを並べてみる。
古着屋・雑貨・アンティーク・ライブハウス・小劇場…。
下北沢にありそうなものを列挙してみた。
すると、なんとなくこの街にいそうな人の像がぼんやりと浮かんでくる。
なんとなく、古着を着てギターとか持ってたりする若い人たちが、小さなバーとかで飲んでそうな気がする。
ちなみにわたしはぜんぜん下北沢には行かない。そもそもあまり都心に出かけない。お酒もぜんぜん飲めない。コミュニケーション力に難があるので、遊びに行ったり飲みに行ったり、あるいはそれらに誘われたりすることも、そもそもない。生活様式がコロナ前後でほとんど変わっていない。
そんな無趣味なおっさん目線で、すごいいいかげんに想像したものだから、もしかしたら若い方には苦笑されてしまいそうだ。もし弊社の若い社員が読んでくれていたら、とても恥ずかしい。違うものを例示すればよかった。
でもまあ例えなので、どうかあまり深く掘らずに流しておいてほしい。
弁明はさておき、こういう感じでそもそも明確な定義や範囲があるでもなく漠然と、しかし何らかの緩やかな枠で囲った「こういう層の人たち」を「界隈」と捉える。
軸を変えて、ライブハウス界隈みたいなものを想像するなら、やっぱり下北沢とか高円寺とかによくいて、屋根裏とかに行くみたいな感じだろうか。もうないのかな。なんとなくこの人たちは、あまり青山とかでは買い物しなそうな気がする。
「港区女子」とかも界隈と言っていいのかな。よく知らないが。
ともかく、界隈とはこういう感じだ。
要するに、何らかの生活様式の共通項を持った人の緩やかなまとまりが界隈なのであり、そしてその共通項がカルチャーなのだと思う。
ものすごくざっくりと定義づけるなら、
カルチャーとは、
ある界隈において共通する生活様式
などとして良いのではないだろうか。
小さなカルチャーがいくつか集まって、界隈が緩やかにできあがる。界隈はやがて新しいカルチャーを育む。新しいカルチャーが生まれて、やがて広い界隈に育つこともあれば、あるいは分岐して、やがて細分化した生態系をつくることもあるだろう。
その成立は鶏卵的でもあり、それゆえに定義も範囲も曖昧なものになるが、いずれにせよ構造としては、樹と森の関係性が近い。
②カルチャーとブランド
さて、ようやくここからが本題である。
界隈とカルチャーの構造を、樹と森の関係性に捉えた。それを踏襲して、次にカルチャーとブランドとの関係性を図にすると、まさに樹の構造になると思う。
ある界隈における、あるカルチャー。
それはある時期、まるで太い一本の幹のように、界隈を支配する生活様式であったとしても、時が経つにつれ、やがて枝分かれして、細分化していく。
時は留まることなく流れていく。人の気分も移りゆく。季節が変わり、時代が変わり、環境が変わり、心境が変わる。米を食べるように普遍的な生活様式などそもそも少なく、枝分かれのフラグなら、何本でも立てられる。枝分かれのタイミングには理由はあれど、枝分かれすること自体に理由はない。
ただ大切なことは、枝分かれと表現している通り、移動というより分岐であることだ。あるいは派生といってもいいかもしれない。
AをやめてBに完全移行するというよりは、Aがよかったけど最近Bもいいよね、といった具合の「流れ」のようなものが確かに存在する。高きから低きに、あるいは薄きから濃きに水が流れるように、実に自然科学的にカルチャーは分枝する。
カルチャーが分枝する まさにその時「文脈」が生まれる。そしてこの文脈こそ、ブランドの存在理由そのものなのである。
文脈。
あらゆるコンテンツが短絡的に切り抜かれて、まるで真逆の意味に編集されてしまうこの時代にあって、文脈だけがコンテンツを必然性や整合性に縛りつけてくれる。
コンテンツを切り抜かれたままにしてはならない。断りもなく部分的に抽出されたコンテンツを漂流させてはならない。編集の悪意に手を貸してはならない。パズルのピースのように、コンテンツはいつも元のコンテクストに嵌められていなければならない。
一方アパレルではもはや、コモディティ化は完了している。アパレルはいつでも供給過多で、似たような服はどこにでもある。そして安い。
だからといって奇抜な形状の服を出しても、そんなものを誰も着ない。求められていないのだ。
服は販売開始と同時に、自動的にコモディティ化、つまり価格競争に巻き込まれる。それはもはや、服をつくる仕事をする上での前提条件なのである。
とっくの昔にコモディティ化した業界であることを前提とした時に、「ブランド」などとといって、決して安くないお値段で服を売るからには、それに見合う価値がないと買ってもらえない。
いきなりピースだけをつくったような文脈なきコンテンツなど、わざわざ世に出してはならない。そんなものを出しても、コモディティ化に拍車がかかるだけだ。
ブランドの価値は何か?
どういう文脈でそのブランドに存在意義があるのか?
あるいはデザイナー自身が、そのカルチャーの牽引者なのか?
それは宿命的に問われ続ける。
ブランドとは何か?
これまでの文脈に沿って定義するなら、
ブランドとは、
界隈の生活様式の新しいあり方を牽引する存在
ということになろうか。
そして牽引すべき新しいあり方の方向が、文脈なのである。
そうなるとプロダクトは、あるいはそのデザインとは、文脈の進行方向にあるセンテンスのひとつにすぎない。
幹から伸びた枝に果実が生るように、ブランドがそのカルチャーから流れる文脈を牽引したその先に、はじめてプロダクトが結実するのだ。
結論として、カルチャーとブランドの関係性は下記の通りになる。
①この界隈における、このカルチャー。
②それが今このタイミングでこの方向に流れていく。
③だから今、このコンセプトでこのブランドが
④このプロダクトを次の生活様式として世に提案する。
要するにプロダクトを考えるのなんて、一番最後でいいのだ。
カルチャーと文脈さえしっかり固まれば、そこに提案すべきプロダクトは論理的に導き出せるのだ。
teshioniにもmaison407にも、ブランドを立ち上げたい方からのご応募は、おかげさまでたくさんいただく。
しかし、ほとんど立ち上げに至らない。
その理由は、まさにこの点にある。
デザイナーになりたい方に、カルチャーがないのだ。
界隈の生活様式の新しいあり方。
その文脈を牽引することの必然性に基づいて生み出されたプロダクトをつくり続けることだけが、ブランドをコモディティ化から救い出す。
そしてそれを積み重ねて、いずれ新たな文脈を伸ばし、やがて大きな1本の樹のようにカルチャーそのものになる。
そうやってブランドは、人の生活をより豊かなものにすることに貢献する。
ブランドは服をつくるのではない。
文化をつくるのだと思う。
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