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【コラム】価値はどこにある?

 先日、たまたま通りがかった道に新規オープンの某チェーン飲食店があったので訪ねました。
新店がオープンしたから言った訳ではありません。僕がたまたま通ったその道に新店があったのです。(僕は食べログレビュアーではありません)

 それはさておき、その店にも例外なく新規オープン店にはよく見られる光景が広がっていました。
1、店員が店内キャパ以上の多さ
2、何をしていいか分からず立ったままの店員さんがちらほら
これを否定したいのではないですよ。むしろなんだか少しほころんだくらいです。
 もちろん新規オープンですから、どの程度の人が入るのかも分かりませんし、一人一人がどの程度動けるのかも実践してみないと分かりません。とにかく早く現場に立たせるために無理にでも多くの人員を当て込んでいるのかもしれません。

 それでそんな場所でよく遭遇するのが、お客さんの目の前であろうがどこであろうが、店長がアルバイトの子に教育を始めるという場面。
「もっと笑って」「もっと大きな声でね」「ほら!元気出して!」
それでまたその言われているアルバイトの子が、とても今っぽいと言いますか、ちょっと冷めた感じて大人しそうな、でも真面目な感じの子なのです。
 店長は熱い感じの人でしたので、ある意味真逆な構図がその店内では出来上がっていて、その教えた方ではお互いにとってあまりいい結果に結びつかなそうだなーと外野の僕は思ってしまいました。
 
 飲食店が人材不足で悩んでいる昨今。
 もちろん色々なものが進化して「学生はアルバイトしなくてはお金が稼げない」という今まで当たり前のことが当たり前じゃなくなってきているから、「シフト調整とかしないといけないバイトは面倒」という子が出てくるのも普通だと思う。

 ただなんというか、教育というものは素晴らしいと僕は思うんです。
 どちらが良い悪いではないけれど、もう少し大人は子供に寄り添って考えてあげてもいいんじゃないかと思います。自分の生きてきた時代背景や、成功事例などなどいろいろあるかもしれませんが、その人がそうだったように、学生の子にも生きてきた時代背景がある。そしてそれはどうしたって一緒にはならない。
 どちらかが合わせられるとしたらそれは間違いなく大人じゃないでしょうか?
 それが長く生きているだけの責任であるし、大人だったらそれが出来ると思う。

 もちろん年齢だけに言えたことではないし、同い年であってもいろんな人がいますよね。
 ただ一つ言えるのは、年齢が十年離れていたとしたら、彼、彼女を取り巻いていた環境は大きく違うということじゃないでしょうか。ジェネギャ(ジェネレーショギャップ)と言って簡単に片付けられてしまうけれど、それは自分の知り得ない情報を得るチャンスでもある訳です。
 歳が離れた知り合いがいるというのは、それだけでも財産、ということを忘れたくはないのです。

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