スクリーンショット_2016-11-06_11.05.58

【コラム】「怒り」という感情について

 ちょっと前だけど「怒り」という映画を観まして(記事はこちら)、怒りという感情を少し考えてみようかと思いました。

 皆様は怒ることありますでしょうか?

 僕は元々「仏」ですので、そういった怒るということは、ほとんどないように思います。(と言うよりも、その行為自体が面倒だと思っているだけかもしれませんが……)

 「怒り」。あまり良い印象は受けませんね。

     *

 キレるなんて言葉があります。

 あれは得てして「我を忘れる」ということでしょう。ということは既に「怒り」という概念を超えているような気になるのです。

 ということは、「怒り」というのは、”冷静な激情”ってことになりますかね。それって何だかキレるより怖いです。我を忘れて犯してしまう犯罪よりも、冷静に行われた犯罪の方が身の毛がよだつ、……というか。

 だから今回の「怒り」という映画は、自分に向けての「怒り」が描かれていて、その「怒り」ってのは正にこれのことなんじゃないかって思うんです。他者に向けるものではなく、自己に向ける”激情”、それが「怒り」ってやつなんじゃないかって。

 他者に向ける「怒り」ってのはきっと、「嫉妬」とか「恥」とか、「妬み」とか「自分の滑稽さに対して」とか(ちょっと被ってるか?)、そんな部分でないのかと思う。

 つまり「怒り」という感情はネガティブなものではないんじゃないか。前向きに考えれば、自己の犯した過ちを、もうどーしようもないくらい”素直に”認めた結果なんじゃないかって気がするのです。

 それだけ”素直”に認めたんですから、きっと怒りが齎す代償も小さなものではないと思います。

 だからいいんですよ。

 常に冷静でいようなんて思う必要はないんじゃないですか?

 ねえ、皆さん。怒りましょうよ。

■古びた町の本屋さん
http://furumachi.link
 

いいなと思ったら応援しよう!