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一人時間を奪われたと思う裏に隠れている感情~ゴミ屋敷出身からわかったこと
先日一人時間がある休みの時に末っ子が休んでしまってモヤモヤした記事を書いた。まだお読みでない方は是非前回の記事もご覧になってから読み進めてもらえるとありがたい。
ゴミ屋敷
私は物心ついた時から物が溢れすぎている家「ゴミ屋敷」に住んでいた。
小学校の時は長屋の小さい部屋が二つある家に住んでいて、ただでさえ狭いのに母の物で埋め尽くされていて不快な生活だった。
物が多いからつまずくし、物を踏んで歩くのが当たり前。物を避けてよろけて棚に手をつくと上から物とホコリが大量に降ってくる状態で、とても安全に暮らせるとは言い難い暮らしであった。
高校になって引っ越しをし一人部屋をもらえて喜んだのも束の間、部屋数はあっても物のせいで一つの部屋に集合せざる得ない暮らしを余儀なくされていた。
家族全員、食事も着替えも寝るのもすべて私の部屋。プライバシーなんてものは存在しなくて、常に誰かがいる状態だ。思春期まっさかりの私はそれだけでストレスがいつもMax状態。外の方が安心できると思うようになっていた。
引っ越しと共に勉強机を買ってもらってとても嬉しかったが、しばらくすると母の物で机の上は埋め尽くされ、勉強をする時は先に物をどかして掃除してからになるので、自然と勉強から遠のいていた。
それなりにお小遣いがもらえたりバイトができるようになったら、当時地元にあったドムドムバーガーで友達とテスト勉強をして帰るのが日課になりつつあった。
過去のゴミ屋敷の記事はコチラから読めます👇
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安心できる場所
ずっとずっと家は安心できる場所ではなくて、家に帰る=ストレスが溜まる場所で自分の居場所なんかはなく、一人になりたい時は外に出るのが当たり前と思って育ってきた。
だから家にかえったらホッとするっていう人がいると、どうかしてると思っていた。
いつしか一人暮らしをしたいと思うようになり、一人暮らしになったらこんな部屋にしたいとか、こんな物を飾りたいなぁと夢みるようになった。
その憧れの要因としては、やはり一人暮らしをしている友達や彼氏の影響もあっただろう。
「だれにも邪魔されない空間の確保」
「家族がいないから疲れない」
「だれかの物で侵されない安心感」
「着替える時に父や母がいない安心感」
上げ出したらキリがないのでこの辺にしておこう。
しかし、20代の頃はバンドに明け暮れていて、スタジオ代や打ち上げ代、機材代でお金を貯める事ができず、しぶしぶ週に何回かは家に帰るようになっていた。
そして、我慢の限界に達したのと当時所属していたメインのバンドを抜けたことで時間ができたので、バイトを3つ掛け持ちして半年で一人暮らし資金を貯めて家を出ることとなった。
憧れの一人暮らし。
だれにも邪魔されない空間は涙が出るほどうれしかった。
以前の「ゴミ屋敷を出てひとり暮らし編」でも書いたが、本当に快適で一人暮らしの、いや、一人時間のすばらしさを実感しまくったのだ。
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今の現状
こういう背景があることを踏まえて今現在を書いてみる。
ありがたい事に子宝に恵まれるようになり毎日がとっても賑やか。
5人家族で人が多いが、家は実家ほど全然物もないし安心して寝ることもできるし、誰もいない場所で着替えることもできる。
ゴミ屋敷と違って床に物がないから安全。当たり前だか棚に手をついてもホコリも降ってこない。
そして1週間に一回は数時間だが一人時間もあるので本当にありがたい。
子供たちが幼少期の時は一人時間なんてなかったからね。3人もいるとその年数はとっても長い。
それに昔は、子供がいるのに一人時間を作ってやりたいことをやるなんてダメだと諦めてた。
一人時間はなくて当たり前だったから「時間を確保できるようになってまた昔のように好きな事をしていいんだ」ってわかった時は嬉しかったし、その時間が待ち遠しくなってきて、仕事がしんどくて辛くてもがんばれた。
幼少期からずっとずっと「安心安全」と「プライベートな時間と空間」が私の中では憧れで絶対に手に入れたいこと。
だからそれがなくなるのはストレスだし、家での貴重な一人時間がなくなると「時間を奪われた」「一人で安心する時間を奪われた」と思ってしまう。
実家の時は外で一人時間を確保が当たり前だったが、今は子供たちがいる。だからいつもいつも外に出て行くというのもなかなか難しいし、天候によっては無理な時もある。
だから、できることなら家で一人時間が確保できたらなと思うんだなぁ。
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物理的に時間を確保
ではこんな風に「奪われた感」がなくなるようにするにはどうすればいいのだろうか。今はまだ正解はわからないが一つは
物理的に一人時間を確保するように努めてみたらどうだろう。
もうすでに実行していることもあるが、ここに書くことで少し頭の中を整理してみたいと思う。
①耳栓をして音をシャットダウンする
リビングで家族がいて音がうるさい時は耳栓が最適だか、話しかけられても聞こえなくて無視しているみたいになるからイヤフォンに変えた。
しかし何かを聴くとなるとこれまた周りの音で音が聞こえずらくそれがイラ立ちの原因にもなるし、音量を上げて耳が痛くなるがあるので注意が必要。
しかし、これは一人時間ではないよね。
それでも、音をシャットダウンできるだけで精神は落ち着く。
②リビング以外の部屋を改造する
これはまだ実行できていない。まずは家族の同意が必要なのと場所の確保のために家具を一つ捨てるか上手く模様替えをしないといけない。
③他の部屋での冷暖房代は一人時間の投資として潔くお金を出す
これは経済的な面とお金のブロックの問題。
快適なことの為にお金を出せるかどうかなんだと思う。時間をお金で買うのはありだと思っているのだがどうも引っかかるところがある。
④時間を決めて確保に努める
他の部屋で時間が確保できたとしても、数分おきに誰かが部屋に入ってくるっていうのが当たり前。
だから一時間だけは絶対に絶対に一人時間が欲しいから邪魔しないで欲しいと家族にお願いしてみる(特に末っ子)
⑤スケジュールの中に一人時間を入れておく
1日の内で数分でも一人時間を確保できるように努める。もし時間が取れなくても、お風呂は一人時間だからその時間をしっかり楽しむ。
⑥一人時間の時にすべてを詰め込まない
あれもこれもと欲張ってやるのではなく、今日はこれだけはしたいという目的を持って時間を使う。ほどほどが大事。
⑦外で時間を作る
仕事終わりで時間がある時は15分間外のベンチで本読みなどをして時間を確保。
この前の休みの日に末っ子が体調不良で自宅にいる場合は当たり前だが、外には行かない。そこは我慢しなさいだね。
⑧一人時間がなくなった時は潔くあきらめる
時間がなくなったからといって一生ではない。その時にできる他のことや、家族との時間の使い方を見直してみる。
⑨やりたい事の優先順位を決める
これだけはやりたい事を一つ決めて置く。
他にも考えたら何か出てきそうやね。
こんな風に臨機応変に一人時間を確保したらいいかもしれないなぁ。
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奪われたと思う心理
では心理面でのケアはどうしていくのか。
「奪われた」と思う心理。
一度は一人暮らしで味をしめてしまった「一人時間」
その快適さを味わってしまったから、一人時間がなくなると本当に辛い。
心のどこかで自宅は安心できる場所ではないかもしれない、家族は私から何かを奪う存在だと感じてはいないだろうか。
長年自宅は安心できる場所ではなかったからその思いは根深いかもしれないし、一人になれさえすれば安心だと思い込んでいるかもしれない。
今私が考えれる心の捉え方は
①一人になりたければいつでも一人になれることを覚えておく
物理的に確保ができるのがわかっているんだから不安になる必要はない。
②いつも家族に合わせて生きていかなくてもよい
家族といえど他人である。すべての時間を家族に費やす必要はない。
③家族と自分との境界線をしっかり引く
これは②とも通ずつところだが、子供も含めこの辺が曖昧になっているように感じる。
家族の時間と私の時間は別なのだと言うことを自分が知るのはもちろんのこと、家族にも知ってもらいたい。
④自分のために時間を確保してもいいんだと知る
家族の為に時間を使うべきだという「べきべき論」は捨てる。
自分を大切にできると気持ちにゆとりが出て結果、家族にも優しくできる。
⑤他のメンタル面での改善も考える
インナーチャイルドの癒しや他のブロックはないかと深堀してみる。
⑥時間を奪われたかたといって安心を奪われた訳ではない
時間は時間。一人時間確保=安心できるは違うかもしれない。
⑦執着を外す
一人時間が欲しい欲しい!と執着し過ぎて、周りが見えていないことに気づく。
⑧あるに目を向ける
どうしても「ない」にフォーカスし過ぎているので、「ある」にも目を向ける。
⑨被害者ぶらない
執着があり過ぎて自分は時間を奪われる被害者と思い込んでいるのではないだろうか。
まだまだ考えることは多いね。
家族は私から何か奪う存在だと思う心理は、あまりにも視野が狭すぎるし考えが浅いね。被害者意識が強すぎる。
実家にいる時はゴミ屋敷が当たり前だったし、時間も場所も健康も親に奪われたと思っていた。
でも逃げ出そうと思えばもっと早くに逃げ出せたのだ。
とは言え、子供の頃は経済的にも逃げることは不可能だし、だれかに相談するということも頭にはなかった。というか、ゴミ屋敷を人に知られるのは死ぬほど嫌だったからね。
子供だったから当たり前なのかもしれないが、生まれた環境をそのまま受け入れ、その環境を当たり前と思って生きて来た。無知な子供はあまりにも無力だ。
しかし成人してからは働けばお金も手に入るし家を出る事も可能。
外にさえ出れば自由があるのになぜ出て行かなかったのか。
今から考えると、家から逃げれなかったのは心のどこかで、家から逃げる行為は父母に申し訳ない気持ちがあったのかもしれない。
「ゴミ屋敷の片付けしてあげないといけない」
「母は絶対に片付けはできない人だ」
「父の為にもこのまま家にいて私がなんとかしなくちゃ」
「私さえ我慢すればいい」
「このまま私がいなくなったらこの家はどうなるのだろう」
どんなに憎くても母は母。
どこかで繋がりを求めていたのかもしれないな。
こういう所が家族との境界線を引けていない所かもしれない。
自分の人生を生きてもいいのに、私が私の人生を生きていくのに申し訳なさを感じて生きていたのは確かだ。
実家を出て何10数年も経つのに、未だにそういう気持ちが心のどこかにあって「私は家族に奪われて当然の存在だ」と思っているのかもしれない。
いつまでも被害者意識でいて「時間を奪われた」と言って騒いでいる間は何も進展しないだろう。
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自己の尊厳
心の癒しには時間がかかる。
が、こうかも知れないと知っているか知らないかで随分違う。
自分を大事にしていいし、自分がやりたいことを主張してもよい。
こうやって書く事によって物理的にも心理的にも解決策があることが分かった。
そして家族との境界線の大切さと、家族の時間と自分の時間をしっかりわけていけるかどうかが今後の課題である。
深堀案件が沢山あるな~。
また気づきがあったら書くね。
ではまた👋
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