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インスピレーションTEDxKyoto2023(3)ロブサン・プンツォクさんから学ぶUnbecomingとは

表面上の知識やスキルを求め続けると人はまどう。本来の自分と向き合い、本来の自分を全うするためにどう生きればいいのかを問い続けること。ブログは人のためであって、人のためならず。書きながら、考え続けています。そしてそれは、まさに学校に必要とされていることではないでしょうか。

Unbecoming me

さて、今回最もインパクトの強かった方がロブサン・プンツォクさん。チベットから来られました。元仏教僧で、学校を立ち上げられました。

ブッダのお話から講演は始まります。ある日、「瞑想から得られるものはなんなのか」と聞かれたブッダは"Nothing"と答えました。でも、「無くしたものは、怒り、悲しみ、焦燥、恐れ…」だと。

ロプサンさん自身も、自分自身を見つけるために寺院に送られた子ども時代を過ごしました。彼は、"To find the human in me"「何かすごい人になるのではなく、”Unbecoming me"人になること」だと説きます。自分にとっての痛みを離さないことが苦しみになる。一方で、Unbecomeすることで痛みが力になると言うのです。

Unbecomeできる学校とは

彼は、学校が"a place to unbecome"になることができるのか、ウェルビーイングや幸せを最重要項目にできるのかについて疑問を抱きました。そこで、彼は"unwanted children"のための学校を設立し、必要な子どもたちを癒す場所を提供することを決めました。

ある時、貧困家庭の母親が夫をなくして途方に暮れていると聞き、ロブソンさんは彼女のもとを訪れました。母親は、「一番出来のいい子を連れて行ってほしい」と懇願しました。一人しか学校には入れてもらえないだろうと分かっていたからです。でも彼はじっくり忍耐強く聞いて言いました。「一番困った子、僕みたいな子はどれ?」母親は困惑しました。そうして一番いたずらっ子の困ったちゃんを学校へ連れて帰りました。

一番賢い子はみんなが欲しがります。一般の学校がいい生徒をベストな生徒に変えることを目的としています。一方で、彼の学校は幸せを最重要項目としています。Unbecomingを通して。

子どもたちが選んだ解決を却下したワケ

ロブソンさんは学校の子どもたちをある時国境近くの村へ連れて行きました。そこでは貧困に喘ぐ村でした。そこで、一番の問題に対してサスティナブルなソリューションを見つけてくるように言ったそうです。

子どもたちは、問題は貧困と飢餓であると気づき、ファンドレージングして得たお金で人々を助けると言いました。これは却下されることとなります。

Compassionには2種類あると彼は言います。一つはConvenient Compassion.もう一つはInconvenient Compassionです。前者は子どもたちが見つけた問題と解決法に近いもの。後者は自分の中でなんどもリフレクトして奥底から何か見つけるもので、自分の夢、ほしいものと引き換えに与えるものです。

子どもたちが見つけた真の解決法

子どもたちは絵を描いてきました。そして言いました。「わたしたちのご飯を我慢して、毎週一回貧しい人たちを招待して与えます。」毎週一回自分たちの分の食事を与えると言うソリューションを導き出したのです。

その写真がありましたが、心の底からにっこりとしてコップから飲む子どもたちの姿がありました。幸せそうに笑う彼らはまさに愛のGiverです。

ぜひこちらのドキュメンタリーも合わせて観てください。

AIの解釈

以下は私のメモを頼りにAIが書いた文です。ここまで書ききっていいのか悩むところでしたが、AIだとズバッと書ききってくれますね。

彼は、愛が最良の薬であると信じており、自分たちが持っている愛を増やすことが大切だと考えています。彼は、自分たちが持っているエネルギーを使って、他人を助け、愛を増やすことが自分たちの幸せにつながると信じています。現在、ロプサンさんの学校は6年目を迎えており、子どもたちは幸せそうに笑っています。彼は、「愛のギバー」として、愛を与え、他人を助けることで、世界をより良い場所にしていこうとしています。

ChatGPTより

さいごに

わたしは今、真宗大谷派の学校に勤務しています。学校理念は「樹心 ~人と成る~」で、英語では"TO BE HUMAN"です。人と成るってなんだろうとずっと考えてきました。簡単に答えが出るものではありません。でも、そのヒントに今回の"Unbecoming"があるのではないかと思いました。先日ある方にその話をしたところ、確かに人と成ると言うのはある日変身するとか何か身につけると言うよりも、Unbecomingのプロセスでもあると言う趣旨のことをおっしゃっておられました。

今までカトリック校や無宗教、仏教(真宗大谷派)に勤務してきました。高校時代は一時期仏教校(和宗)にいたこともあります。最近、学校は知識理解だけ出なく、いわゆる「道」を説くことをもう少し意識したほうがいいのではないかと感じることがあります。成績のいい子、できのいい子に焦点を当てるのが学校でしょうか。人が幸せに生きることの方が大事です。そのために大人の自分ができることを考え続け、行動し続けたいものです。


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江藤 由布(ゆう)
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