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なんだろう、書けない。休校中の授業、こんなこと考えてました。

Zoomがダウンした日、すぐ記事を書いて以来、書けなくなった。休校中、いろんな学校のすごい先生がすごい取り組みをしている。自分は目の前の生徒だけを見ようと心に決めた。限りなく空気になる。

つい、隣の芝は青く見える。だけど隣の芝を見る時点で、生徒中心じゃない。新しいことをしてウケる人がいる。だけどきっと見えない苦労もある。自分には自分のミッションがあるはずで、見失わないことだけが大事。できることは、何でもやってみる。

だけど、

その何でもは技術だけじゃない

「何を身に付けるか」という軌跡を描くことなく、動画を作っていたりオンライン授業をしているなら少し違う気がする。自分が生徒ならどんな風に学びたいだろうか。それはたくさんの動画とオンラインライブ授業でないとダメなのか。それだけの時間を拘束するなら、今日その場にいてよかったと思って欲しい。それはGoogle Classroomを使ってるとか、Edmodoを使っているとかじゃなく、休校期間をちょっと楽しむ時間であって欲しい。

その何でもは何かを飛び越えない

自分が授業で大切にしていることは何だろう。生徒とどう学校を社会を良くしていけるだろう。社会の最小単位、家族は幸せだろうか。感謝を伝えているだろうか。毎日の授業をご一緒くださったMr. Eveは生徒に問う。

"So, did you say thank you to your family for making you breakfast?"

オンラインの授業はある意味非日常で、相手は黙っているし(ミュートされているw)何だかちょっと喋り過ぎたり、用意した通りをやろうとしたりしてしまいがちだった。そんな時、ペアを組んでくださった先生にずいぶん助けられた。

一番大事なこと。それは身近な人に感謝を伝えること。最小の社会を可能な限り幸せにすること。だから一足飛びに先へ進まない。

その何でもは気持ちにだけ寄り添う

授業ではいろんなことをさらけだすことになる。そもそもこういう非常時には悪いこともいいことも増幅されるものだ。学校では見せることのない環境や表情も捉えられてしまう。そんな時、どんどん説明ばかりされても自分なら、上の空。

生徒は何を思っているだろう。授業が終わってほっこりとした気持ちになれるだろうか。困難の中で、ちょっとした自信がついただろうか。こんな学び方もあると発見を楽しめただろうか。困ったことはすぐに助けてと言えるだろうか。

何でもやるならその気持ちに寄り添いたい。そしてそのための手段は選ばない。1時間愚痴に付き合うこともあれば、一緒にトトロを描くこともある。

やってみてよかった、小さなことたち

7年前からいろんなことを試して来た。割と大きなプロジェクトもやってきた。やろうと思えばできたこともあるけど、今回は目の前の(いないけど)生徒に全神経を張り巡らせていて、変わったことは何もしていない。だから書くことも何にもないと思い込んでいた。とはいえ、せっかくだからやってみて生徒に笑顔が見られたことを少し振り返り、来る第二波に備えたい。次回少し具体例を挙げることにする。

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