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noteのはじめかた

誰も読んでないのをいいことに自分は記事を書いては消してを繰り返しています。「noteのはじめかた」というページがありますが、また書き始めようかなとなるたびに「noteのはじめかた」を毎回わざわざちゃんと読んでいる気がします。記事を消すときはもちろん読み直しません。

生きていてどんな子を誘って楽しいお話をするかとか、どんな車を買って好きな音楽を流すかとかなんて、誰かから指示されることではないのに、このページで書く内容やら、どこで画像をつけるといいやら、そんなアドバイスを読みながら、毎度ふむふむと目を通して納得していると、やっぱ自分はバカなんだな、なんて思ってしまいます。

皆さんはnoteを書いて自分を表現したいんでしょうか、知識を伝えたいんでしょうか、文章に起こすことで自分と向き合ってるんでしょうか。

いや、そんなこと人それぞれでしょうし、たったひとつが当てはまる欲なんて存在しないでしょうから、いい意味で本当はどれを答えてもいいはずなんですけど、一方で答えを欲しがっている自分がいることも間違いありませんね。

自分の仕事ではどうしても数分とか数十分とか待ち時間がふと生まれてきてしまうことをしています。色んな人のご意見をお伺いしながら(カッコよく言うと折衝しながら)あーでもないこーでもないとやっていると、全員の返事待ちという凪の時間があるのです。

なんだかこの時間ってもったいなくありません?だってこんなに文章書けちゃうんですよ。質はともかくですけど、この働いているのかどうか分からない時間に文章は書けるわけです。

でも、誰かが返事をしたらこの時間は終わり。LINEでもメールでも返事が来た瞬間に静寂は終わりです。

無視して自分の時間にすることもできますが、返事が来ているという時点で「凪の時間」ではなくなるのです。なんでしょうかね。当然のことなのに不思議です。

…と、返事がきましたのでこのあたりで今日は終了とします。

またボヤきます。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

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