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浅草キッド

江戸ことばとか東京弁とか、専門的な分類は色々あると思いますが、「べらんめえ」にしても「それを言っちゃあおしまいよ」にしても、文字にしたところで表面だけ、それらは東京を生きてきた人たちのただの体の一部というか、こういう生き方をしてきたから、こういう考え方をしてきたから、なんだかそれを発した人間の一部が言葉とか言い方になってるんじゃなきのかなあ、なんていうのが、少しだけ分かっていることです。たった3年ですが浅草で働いていたときに得た感覚的なものからです。

浅草の人がみんな同じ生き方ではないでしょうし、みんなと括っても仕方ないでしょうが、それでも目に見えない共通の「粋」「不粋」というものは存在していたわけで、そういうところで違う考え方の人とでも繋がれるというか許し合えたり讃え合えたりする世界が当時の浅草には広がっていたのかな、と想像します。

そして浅草にいた3年の「感覚的なもの」を照らし合わせると、今も残っているような気がしますし、あ、あのときしゃべった浅草のおっさんの距離感とかモノの言い方ってそういうことだったのかなとか、なんでこの人とこの店の付き合いがあるんだろう、とかそんなことの答え合わせができたりするのです。

と思ってるんですよお、なんて伝えたところで「知ったこっちゃねえよ」と吐き捨てられそう、ってことまで含めての浅草なんですけど。

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