「普通にできない」なら他の分野で結果を出さないと話にならない
最近二木先生という本を読みました。この本の中で自分に刺さったフレーズがあったので紹介していきたいと思います。
そこそこネタバレもあるので、気をつけて読んでください。
ちなみにこんな本です。
あらすじ
まずこの本の簡単なあらすじを紹介しておきます。
この本は周りから見ると自分は変だということが1つのテーマになっていたと思います。
「普通にできない」なら代わりに何ができる?
この本の中のやり取りで特に印象に残ったものがあります。小さい頃から変だと言われ続けてきた主人公の広一は、誰かに自分のことを分かって貰いたいとずっと考えていました。
そんな広一からすると、二木先生は美術教師という感性の世界にいて、重大な秘密も抱えているので、普通の人ではありません。そんな二木先生なら、自分のことを分かってもらえるはずだと思いました。
しかし、二木先生は広一に対して「それできみは何を見せてくれるんだ?」「その人と違う感性とやらで何をするんだ」と聞きます。
広一は自分に「何か」があることを認めて欲しいと思っていましたが、それが具体的に「何」なのかは考えたことがなかったため、その質問に答えられませんでした。そんな広一に二木先生は鋭い指摘をします。
「見たところきみは何も積み上げてきてないね。画家にしろ音楽家にしろ、感性を活かした何かになるには幼い頃から訓練が必要なんだよ。きみはもう、その点では年寄りだ。今から頑張るにしても、絵を描くのも音楽をやるのも、まず筆を持ったり、楽器を手にしなきゃならないだろ。見せるものが何もないのに、認めてくれだなんて、変なこと言うよな」
この指摘が自分にも刺さってしまいました。
「普通にできない」人に憧れていた
僕は霜降り明星が好きなので、普通の人のようには出来ないが、天才だと呼ばれている人たちに憧れていました。霜降り明星だとこんなエピソードがあったりします。
僕自身も高校時代はクラスに上手く馴染めなくて、そんな毎日が嫌でした。でも霜降り明星みたいに普通にできないが才能がある人を見て、じゃあ自分も他の人にはできないことがあるんじゃないかと思っていました。
でも先ほど引用した二木先生の言葉を読んで、僕がまだ何の結果も出していないことに気づきました。自分はなんの結果も出していない癖に、結果を出している天才と共通点だけ見つけているイタい人間です。
そんなことをしているようでは、ただの迷惑な社会不適合者です。
おわりに
この小説では、広一が自分にしか出来ないことを見つけて、才能を開花していく様が描かれています。でも果たして自分には何があるのでしょうか。もっと結果を出せるように頑張っていきたいと思います。
本日も読んでくださりありがとうございました!
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