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Fランク大学

Fラン大学って、なんか定期的に話題に上がりますよね。そのたびにこの国は本当に学歴の話が好きなんだなぁといつも思います。

Fラン大学というのは、「偏差値という指標と、募集人員と志願者数の動向によって位置づけられる大学群」ということ以上のものでしかないので、それらを一律に扱って、「そういった大学に通う学生は○○だ」、とかの話をしても意味がないと考えています。だからFラン大学という言葉を使うこと自体もあまり好きではありません。(ここでは使いますが)

さて、Fラン大学に入学した質問者さんは、人生詰みなのでしょうか?私の考えは、[Fラン大学入学=人生詰み]を結び付けて考えてしまうのであれば、そうなってしまうだろうということです。なぜかというと、そういうような図式を採用してしまうと、「楽」になってしまう部分があるからです。この「楽」を覚えると、就活がうまくいかなかった=Fラン大学だったから、人生がうまくいかない=Fラン大学だったから、というように、何かがうまくいかない理由をすべてそこに求めるようになります。こうなってしまうと、自己効力感がなくなってしまうので、今描いているような人生はこの先送れないかもしれません。

考えてみて欲しいのですが、18歳時点での受験上のものにしか過ぎないパフォーマンスの高低が、人生全体に影響を及ぼすというのは、大学というものの位置づけを過大評価しすぎていると思いませんか?
そもそも大学に行く人(進学率)って57.7%です(2023年度の学校基本調査)。Fラン大学にすらいかない残りの人たちは、人生詰むのが確定になってしまいますか?そんなことはないですよね?

Fラン大学と称される大学であっても、自分次第でいくらでも学ぶことはできるし、優秀な先生はごろごろいます。世間が勝手に決めた位置づけなんかに負けないで、今いる環境を最大限に活かして自分の人生を切り開いてください。まだ先は長いです。

大学生って「勉強しなさい」って言われますけど、受験と違って範囲が決まっているわけではないので、確かに、実際にどういう風に勉強を進めていけばよいかわからないですよね。

いろいろなところで書いているのですが、まず大前提として、
大学でするのは「勉強」ではななく「学問」です。

前者は強いられてするもので、高校までの学びがこれにあたります。多くの場合、範囲と答えが決まっていて、いかに内容を覚えて、それをいかに正確に出力するかといった能力を高めるために行います。大学でもこうした学びは必要ですが、それだけでは十分ではありません。それが後者の学問です。学問はその文字の通り、問いが必要です。自分で設定した(答えのない)問いに対して、様々な先行研究を読みながら自分なりに回答を出していく営みです。

大学での学びを頑張ろうと思うのであれば、まずは、自分が興味がある分野の文献を読んください。(別にこれは専攻している学科のものでなくても構いません)。比較的多く読まれている基本的な文献のようなものがありますから、これを読んでみることをお勧めします。そうやっていくつかの文献を読んでいるうちに、これはどうなんだろう、あれはどうなっているのだろう?という問いが生まれてくるはずです。で、その同じような問いを立てて、自分なりの答えを導きだそうとしている文献を次に読んでください。そこに書かれている内容が、自分が知りたい問いの答えとして不十分であれば、また別の文献を読む、あるいは満足がいく回答であれば、問いを変えて同じことを繰り返す。これが大学での基本的な学びだと思います。

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