小さいおじさん〜その5〜
プロを夢見たサッカー少年の10年後
この日、昔からの友人たちと夜の公園でサッカーをしていた。
僕が小学、中学、高校と夢中でのめり込んでいた唯一のものがサッカーだった。
自慢じゃないが小さい頃はちょっとはサッカーが人より上手く、選抜にも選ばれたり少し目立っていた。
あの頃、なんであんなに夢中だったのだろう?
何にも不安になることもあせることもなく、ただただ毎日サッカーがしたくてしょうがなかった。プロになりたいと心から毎日ワクワクしていた。
今でも、昔みたいに動けなくなってしまったけれどサッカーは好きだし、たまにはする。
その度によく昔を思い出し、一緒にボールを蹴っていたみんなを思い出す。
僕以外のほとんどはしっかりとした高校や大学に進学したり、企業に入り働いている。
”僕は一体何をしてるのだろう?”
今では楽しむどころか、そんな思いを吹き飛ばすかのように思いっきりボールを蹴る。
「頼まれごとは試されごと」
頼まれたことはありがとー!って心で思ってやる。
どんだけめんどくさくても、ありがとー!って思う。
不思議なことに、ありがとうと思ってしまえば本当に有り難くなる。
出来なかったことができるようになることもそう、期待してもらっているというモチベーションもそう、何より人とのご縁をいただける有り難さは本当に感じていた。
けれど、僕が何でも屋なんじゃないかというくらい色んなことをやっていた頃、
周りの友達は大学を出て、社会人となり、結婚したりもし始めた。中には独立して自分で会社をやっている奴だっていた。
"負けてたまるか!見てろよ。。"
素直に心の中にあった気持ちはそれだった。
他人の芝生は青く見えるとはよくいったもので、僕は人が持っている物や生活に目が行きまくっていた。
自分の熱量や力量が、社会人となって働く人たちより低いなんて死んでも思いたくなかった。
というか、そう思わないとやってられなかった。
だって、友達は仕事をこなして昇進する道を歩んでいるのに、僕といったら人のお願いをこなして何でも屋さんと化してこの先に何が待っているかなんてわからなかったからだ。
もちろん、人の役に立つ喜びや有り難さは十分に感じていた。
けれどわからない。。
"この先僕はどうなるの??"
毎日不便はない。
どちらかといえば自分がちょっとずつ成長している気もして楽しい。
時間も自分で決められて自由だ。
それなのにこの焦りや不安は何なのだろう。
そしてやはり考える。
"この先僕はどうなるの?"
サッカーをしている頃は常に目指すものがあった。
当時、大好きなサッカー選手だったストイコビッチのようになりたいとか、次の大会に向けてこうなりたいとか、
サッカーに明け暮れているころにはいろんな目標や夢があった。
それが今では本当に何も目指すものがなかった。
埋まっていくスケジュールと比例するかのように、不安だけが膨らんでいた。
そしてその不安に耐えきれず、ある日の夕方コンビニの駐車場から電話をかけた。
もちろん、その相手は小さいおじさん。
生きているうちに叶えたいこと。死んだ時にかなっていて欲しいこと。
ぼく「もしもし、あの今ちょっといいですか?どうしてもモヤモヤしてることがあって、、、。」
それだけをまず伝え、なんて話そうか考えている一瞬にこう一言返ってきた。
小さいおじさん「今夜、近くまで行く予定あるから会おか?」
こうして、その夜は僕の家から近いファミレスで会うことになった。
僕の地元ということもあり、今回は僕の方が早くついた。
高校の頃から通っていたこのファミレスは何1つ変わってなかった。
入り口を入って右手にあるこじんまりとしたレジも、その奥にあるサラダバーとドリンクバーの位置も、テーブルの席の配置も何もかも変わっていなくて、時間が止まったままのようだった。
そしてこの日座った席も、昔よく座っていた一番奥の角の窓側の席。
外の景色も何も変わっていなかった。
そしてまた考えていた。
”僕は何をしてるのだろう、この先僕はどうなるのだろう”。
「ごめん、まった?」
20分ほど遅れてやってきた小さいおじさん。
スーツ姿のおじさんを見たときに、一瞬でわかった。
“こっちに来る予定があるというのは嘘で、仕事終わりにはるばるやってきてくれたんだ”
それすらも言わず、そぶりも見せずいつもと同じように美味しそうにご飯を食べる小さいおじさん。
ドリンクバーということもありジンジャエールが進む進む。
小さいおじさん「どうしたん?」
急にそう一言はなってきた。
僕は感じていたことをそのまま、まとめずに全部伝えてみた。
小さいおじさん「なるほどな。ようは簡単にいうと何に情熱を燃やしていいか分からず、何を自分の人生の軸に考えていけば分からんってことやろ?登る山がわかりませんって事か。」
僕が悶々としていたことをズバリ一言で表してくれた。
小さいおじさん「サッカーをしてる時は、こんな人になりたいとか、この大会で優勝するっていう目標を山に見立てて登ってる感覚があったから頑張れたけど、いまは登る山がわからない。みたいなもんやな。…なるほどな。」
そういうとニヤニヤしながらジンジャエールを飲みながらこう言った。
小さいおじさん「簡単やん、そんなん。究極最終この世とお別れのチーンの時、見たいビジョンだけ決めとき。そしたらあとはどんな山登りに出会っても、山登りを初めてもそのビジョンに最終行くわけやからさ。お前が人生の最終で目指してるもんまず考えてみ」
究極最終見たいビジョン。
僕が見たいものはなんだろう?
見たこともない様なお金の山?
それとも、おっきな家に、高級車のズラッと並んだ光景?
自分の会社をもち、大っきくなってるところ?
そんなことを考えていると、
小さいおじさん「お前、いま考えてることお金とか物質系やろ?現金なやつなや〜ほんまに。大前提として物質的なもんは無し!」
そう言われた。
物質的なものが無し??
え?えっ??っと、もう何を考えればいいかわからず軽くパニックだった。
小さいおじさん「ははは。金の亡者かお前は。いや持ってもないから金の妄想者かお前は(笑)よーく考えてみ、お前の人生の最後に訪れることってなんなん?」
金の妄想者?
その例えにイラッとしつつ答えた。
ぼく「死にます。最終的に誰でも。」
キツめにいった僕に、手をグッとして親指を立ててイイねのポーズをしている。
小さいおじさん「正解。じゃあ、いろんなイベントが人生の中であるわな?誕生日やら、結婚式やら。最終的なお前が主役のイベントってなんなん??」
ぼく「ん〜死ぬんで、葬式ですかね?」
「それやん!」
小さいおじさんの大きな声がファミレスに響く。
小さいおじさん「お前さ、自分の理想のお葬式考えたことある??ないやろ。だって自分が手配するもんでもないからそりゃイメージしたことなんてないわな。けどな、だれがお前のお葬式にくるよ? !
はじめまして!会ったことはないんですが参列させていただきますって人がくるか?
見知らぬ外国人がいきなり"オクヤミ モウシアゲマース"ってくるか?!
こんやろ普通。
誰がくるよ?お前の葬式?
お前に会えてよかったって思ってもらってる人が来てくれるんちゃうの?葬式って。
ならよく考えてみーよ。
お前葬式の理想系。それ究極最終に見たい光景やで。ほんでそれは自分では見れへんもんなんや。だからこそ、どんな人がそこにいて、どんな話が飛び交ってて、どんな空間になってて欲しいのかよーく考えてみ。」
自分のお葬式。
考えろと言われても正直よくわからなかった。
僕がお葬式を経験したのは、記憶があるものでおそらく二回。
ひいお爺ちゃんとひいお婆ちゃんが亡くなった時だ。
僕がまだ6歳くらいと11歳ごろだった頃だったと思う。
ひいお婆ちゃんの頃は記憶が曖昧だが、ひいおじいちゃんの時はよく覚えている。
よく遊んでくれ、可愛がってくれてたこともあり亡くなった時は小さいながら本当に悲しかったのを覚えている。
着替えさせてもらい、棺に入れられ、みんなが泣きながら集まってきてたのを鮮明に覚えている。
そして、泣きながら来てくれていた人が、お葬式が終わり、帰る時には深々と頭を下げて"ありがとう"と言っていたのを覚えている。
そんな、ひいおじいちゃんの話を祖父に聞いたことがある。
ひいおじいちゃんは元々は岐阜県の田舎の出身だったそうだ。
そして、その地域は自然災害が多く、農家にとってはとても環境が悪く、住むにも危ないとのことから、ひいおじいちゃんを含め数名の人が安心して住める場所を探し、今の住んでいる場所を見つけみんなで移り住んで来たらしい。
開拓者で救援者だったんだと、おじいちゃんは自分の父親でもある、ひいおじいちゃんの話をしてくれた。
そんなひいおじいちゃんのお葬式には、見たことがある親戚から始めて見る人がたくさんいた。他県からやってくる人もたくさんいた。
そして、口々を揃えて"ありがとう"と言って帰っていた。
その人たちは、ひいおじいちゃんが率いて来た村の人たちの子供であったり、親族だった。
みんながひいおじいちゃんのおかげで安心して住め、そして家族を持て、また他県に散らばりそれぞれが生活をしていた。
だが、ひいおじいちゃんが亡くなった時、たくさんの方が仕事を休み、はるばる遠方から"ありがとう"を伝えに来てくれていたその光景は小学生の僕にとってもとても記憶に残っていた。
"ひいおじいちゃんカッコイイ"
そう思ったことを思い出した。
ぼく「自分のお葬式には、ひいおじいちゃんのお葬式以上の人に来て欲しいです。他県からだけでなく、世界中から僕に会えてよかったって思ってくれた人に来て欲しい。
そして、その光景を自分の子供や孫に見せてあげたい。
ひいおじいちゃんのことはよく知らなかったけれど、おじいちゃんのお葬式を見て僕は本当にこの人すごい人生を送ってきたんだってわかりました。
だから僕は、そのひいおじいちゃんを超えるくらいのたくさんの人が、会えてよかったありがとうとやってきてくれるお葬式にしたい」
そう伝えた。
すると目の前にいた小さいおじさんの目が潤んでいた(笑)
小さいおじさん「めっちゃええ話やん。。おれ、この後に手合わせに行かせてもらうわ。」
ほぼ泣きかけながらそう言ってきた。
小さいおじさん「結局な、みんな本当に日々の物事に振り回されすぎやねんて。ホンマに。
ああうまくいったサイコー!
ああダメだった最悪ー!
そんなことないねんて。
夢がないとか目標がないから頑張れない。
どの山登ったらわかりませんってのでも、サッカーや仕事の山なんて人生のおっきな山の中にある1つの山にすぎんねんて。
どの山登ろうが、登る山が分からんゆうてようが、みんな必ず登ってる山で、必ず最終登ぼりきるんは、今回の人生の最終地があるお葬式山なんやで?
サッカー選手の山登ってあるものはなんだろな?
名声かもしれん。お金かもしれん。人に夢を与える希望かもしれん。それもめっちゃ素敵や。
けどな、サッカー選手目指してなれん人なんてめちゃくちゃおる。
なれんかったらあかんのかな?
サッカー選手を目指す途中、出会うたくさんの人がいて、その人たちが本当にお前にあえて良かったと思ってくれてたら、お前が死んだ時、例えお前がサッカー選手でなく農家をしてても会いにきてくれるわな。
そしたらもしかしたらお前のことをサッカー選手になれんかった、諦めやがったってバカにしてた子供や親族もびっくりやんな。
うわ!あの有名な○○選手がこんな田舎の親父の葬式にきた!
なんてこともありえんねんて。
なんで田舎のこんな親父の葬式に1000人もきてんの?親父って何者?!どんだけ人望あったん?!ってことにもなりえるねんで?
自分が死んだ時、大切な残った家族に本当に人生で大切なことを伝えられる。
そして、自分が死んだ時、自分のそれまでの行いや思いが垣間見られる。
だからこそ、自分の理想のお葬式をイメージするとな、大事なことが見えてくんねん。
それが、"一期一会"であったり、"人の心に残る生き方をする"ってことなんやわ。
1つ1つの出会いがぜーんぶ繋がるねんて。
ホンマに相手のことを思って、この人のために自分ができることをしようと思ってたらその人の心に間違いなく残る。
お金や車、家なんかの物質的なものなんかじゃその人の本当に大切にしてきたもんはわからんし、物質は最終なくなってまう。
けどな、ホンマに残るもんがあるからそれを大切にせないかんねんて。
ホンマに残るもんはマジで目に見えんねん。」
深夜のファミレス。仕事終わりにはるばる1時間半かけてやってきてくれた小さいおじさん。
その言葉の中にある暖かな大切なことがなんだか僕のちっちゃすぎるプライドを削ぎ落としてくれた。
"こんな人になりたい"
小さいおじさんが僕の理想の人の1人になった夜だった。
その後、お会計をすると本当に実家にやってきて深夜にもかかわらず仏壇に手を合わせて小さいおじさんは帰っていった。
また1時間半かけてかえって、明日の朝から仕事に行くんだろうな。そう考えるとなんだか感謝しかなくなった。
5、自分の理想のお葬式を考える。
自分のことを考えるのになぜだか人に優しくなれる究極の魔法の言葉だと思った。
つづく、、、