無限に似た解放

 これが飛び立ったら……帰ることは叶わないだろう。
 押し寄せる絶望と、微かな焦燥。
 せめて、あれに言葉を残すべぎだったろうか?
 不意に去来した思いに、彼はそっと苦笑した。彼の生きる時代は、どこまでもヒトには無情で。そして、きっと後世の人間に嘲笑われるであろう狂気に満ちている。
 だとしても、彼はその時代に生まれたことを後悔はしていなかった。今の「この時」でなければ出会うことの無かった人物と。そして、意識にさえ入ることの無かった感情と出会えたのだから………。
 故に、彼に後悔はない。
 しかし、その胸に浮かぶのは不思議に静かな焦燥だけだ。
 目の前のフラッグが振られたら……彼はその場を飛び立つ。死への短いラストフライト。
 フラッグを持つ男の顔が僅かに歪んでいるように見えた。
 男は泣いているのだろうか? 絶望しているのだろうか?
 それとも、彼の視界が歪んでいるのか?
(どちらにせよ、俺には関係のないこと………)
 胸中に呟き、彼は「その時」を静かに待つ。
 唸るエンジン音が彼の意識を満たし、心が次第に殻になっていく感覚が妙に他人事のようで……彼は低く笑いを漏らした。
 そして………。
 奇妙な沈黙と共に、フラッグが振り下ろされる。エンジンの唸りが高まり、急激な加速が彼の体を包む。
 しかしそれはほんの僅かの間。見る間に彼の乗った爆撃機は重力という地上の枷を振り払い、中空へと飛び立った。
 視界に広がるのは、どこまでも遙かに続くかと思われる曇天。地上の全てが米粒大の模型へと変化していった。不思議な空虚感を抱いたまま、彼はどこまでも続く果てない空を突き進む。
 やがて彼の上にも訪れる、死という解放を目指して………。

#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?