指先に触れるもの 15
そんな彼の内心を読んだかのように、兵士はやさしい手付きで彼の頭を撫でた。そこには確かに慣れ親しんだ祖父の温もりが感じられる。知らず頬を涙が伝うが、喉の奥に言葉が張り付いてしまったように言葉が出なかった。
「泣くな。いい歳してそんな風に泣くんじゃない。お前だから頼むんだ。わかるな? 頑張れ。怖い思いをさせてすまなかった」
そっと彼の頭を撫でていた手を離すと、男はすぐに踵を返した。真っ直ぐに列の手前に立つ男の傍らまで戻ると、一度だけ泰之を振り返りその輪郭を崩しはじめる。
「ま………っ!」
喉の奥に張り付いていた声が漸く零れた。しかし、泰之のその声は消えようとしている男を引き止める力にはならない。
「ま、待って………! じいさんッッ! 待ってくれッ!」
17
そう叫んだ自分の声で泰之ははっと目を覚ました。全身にべったりと嫌な汗をかき、呼
吸が苦しいほど荒くなっている。目尻からこめかみへ伝う涙の生暖かい感触が、今し方ま
で見ていたものが夢であり、そして現実でもあるということを彼に教えていた。
そう、彼は確かに七年前に亡くなった祖父、孝造と会っていたのだ。
(じいさん………)
胸中で呼び掛けるが、返る言葉があるはずもない。一度きつく目を瞑り、緩慢な仕草で目を覆うように両腕を乗せた。とめどなく目尻を伝う涙が、彼の胸を言いようのない切なさで埋めていく。
そんな彼の腕に遮られた視界に光を投げかけるのはいつもより強く感じる朝日だ。その光の強さに、すぐには自分がどこにいるのか思い出せず泰之は幾度も目を瞬く。
(………そ、うか。俺、サイパンまで来てたんだっけな)
胸中に呟き、ゆっくりと目の上から腕を退けた。ゆっくりと目を開ければ、カーテンを閉めることも忘れて眠ってしまったことを今更ながらに思い出す。込み上げた笑いが小さく漏れた。
強烈な夢の余韻が全身にまとわりつき、すぐに起き上がるだけの力が体に入らない。目を閉じ、泰之は長い溜め息を落とすと再びゆっくりと眠りの中へと引き込まれていくのだった。
18
次に泰之が目を覚ました時、空の随分と高いところに太陽があった。寝惚けた視線を部屋の中に漂わせ、彼はベッドの中で一度大きく体を伸ばす。一度全身の力を抜き、ゆっくりと起き上がった。昨夜の夢の残滓は今、体のどこにも残っていない。
幾分眠気の抜けた目で部屋の中を再度見回した彼は、何気なく壁際の置時計で時間を確認し動きを止めた。
「……………あれ? 俺、今日………」
呟き、昨日の記憶をぼんやりと辿る。サイパンに到着して真っ先に向かったマッピ岬。そのままホテルへと直行し、夢にうなされたこと。夜の海と白いワンピースの女。そして、彼の夕食に同席したその女は………。
そこまで記憶を辿った泰之は夕食後、部屋に戻る間際、幸恵と今は観光地になっている第二次大戦の史跡を巡る約束をしたことを思い出したのだ。
「マズいッ!」
再度、時刻を確認した泰之は慌ててベッドから飛び降りた。昨夜確かに彼は、早めに準備を済ませてロビーで待つと幸恵に告げたのではなかったか。それが今、時計の針は十時になろうとしていた。
ベッドから飛び降りたその勢いのまま、ソファの脇に放置していたトランクから着替えを取り出しでき得る限り最速で着替えを済ませるとバスルームへ飛び込む。勢いのまま最低限の身支度を整えると、彼はベッドの脇に放り出していた手荷物と鍵を取りに戻った。
そうして慌しくエレベーターホールへ向けて駆け出したのだった。