指先に触れるもの 17
「勿論です。私の準備は出来ていますから、北里さんの都合で出発してください」
柔らかく告げられた言葉に頷き返し、泰之はそれならば、と彼女を促す。
「じゃあ、すぐ出発しましょう。時間もったいないし」
幸恵が頷き返すのを確認し、泰之は真っ直ぐにフロントへ鍵を預けに向かった。すぐ後ろに幸恵のついてくる気配がある。
そのことに安堵を覚えながら、彼は昨日レンタカーを借りた店の近くにファーストフード店があったことを思い出した。ひとまずはそこで飲み物だけでも買おうと、最初の行き先に決める。
その後は近い史跡から回ろうか。
そんな事を頭の隅に置きながら、泰之は愛想よく彼を迎えたフロントスタッフに鍵を預けた。
22
ホテルを出発し、幸恵からの一言も手伝ってファーストフード店に立ち寄り簡単な食事を済ませた泰之は、はじめの目的地であるラストコマンドポストへ向けて車を走らせた。
ハンドルを握りながら横目に彼女の様子を窺うと、彼女は言葉なく半分ほど開けた窓の外へと視線を投げている。どこか安心するその沈黙に、彼は視線を前方へと戻した。
南国特有の鮮やかな視界と、儚さを増したように感じる幸恵の姿。穏やかな時間の流れと、地に刻まれた眠れる凄惨な歴史。
対照的でありながら違和感のないその流れの中に身を置きながら、彼は幸恵に興味を持ちはじめている自分を感じた。
はじめは嫌悪感、とまではいかなくとも違和感を覚えた幸恵の存在。自分から言い出したとはいえ、史跡を巡りたいと告げられた時に覚えた恐怖。その恐怖は今、孝造の意思であったことがわかったことで殆ど感じなくなっている。
(結局まだあの視線のことも、じいさんの言ってたあの人が誰なのかも。わかってないんだけどな………)
胸中に呟き、泰之は小さく溜め息を落とした。
「どうかなさいましたか?」
助手席からの声で現実に引き戻された彼は緩く首を振り、笑みを返す。どうやら、いつ
の間にか自分の考えに没頭してしまっていたようだ。
「いや………。なんか不思議だな、と思って」
気遣う色を滲ませた幸恵の視線を頬に感じながら、彼は言葉を探す。
「俺、この旅行、急に決めたんですよ。しばらく調子悪くて、一人で考えたいこともあったし。それがこうやって堀本さんと出会って、話して。一緒に観光してたりして」
軽く肩を竦めて見せ、泰之は更に言葉を続けた。
「それが不思議だな、なんて思ったんですよ。普通ならいくら同じ日本人でも知り合いでなかったら、海外で会ったからってこんな風に一緒に回ったりしないですよね?」
その言葉に納得の顔で頷き、幸恵は柔らかな笑みを返す。
「そうですね。私も昨夜は自分に驚きましたから。北里さんが言ってくださったとはいえ、こんな風にお言葉に甘えてしまうなんて。ありがとうございます」
「俺の方こそ! 多分、一人で行くより誰かいてくれた方が気分も楽なんで。気にしないでくださいね?」
幸恵の安堵を含んだ視線を感じながら言い切り、泰之は前方に見つけたラストコマンドポストへの案内板に従い車線を変更することにした。
23
他に幾人かの観光客のいるラストコマンドポストに到着した二人は、鬱蒼とした緑の視界の中をゆっくりと進んで行く。天然の洞窟を旧日本軍が最後の指令本部として使ったというその場所は、無数の弾痕の残る岩肌と錆びて朽ちかけた砲台が時を止めている場所だった。
(思った以上に生々しい場所だな………)
溜め息混じりに胸中で零した言葉は、泰之の中で反響し背筋に小さな震えを誘う。蔓草の絡まる破壊された砲台の脇で足を止め、洞窟であった場所を振り返った。悪寒を誘うほどの圧倒的な存在が胸に迫り言葉が出ない。
止まったはずの時の向こうから手招きされているような奇妙な圧迫感が、どこか虚ろな淋しさを含んで彼を飲み込もうとするかのようだ。それ以上そこを見ていることができず、泰之は幸恵の姿を探して視線を泳がせる。