居候と老神主 2

 神社の奥、鎮守の森に埋もれるようにある老神主の居宅の庭先で彼は、手持ち無沙汰の時間をどう過ごそうか迷っていた。
 今日まで初詣の参詣として参拝客を受け入れている。当然ながら老神主一家は孫たちまで揃って手伝いに出ていた。夏祭りの時もそうだが、人手はどれだけあっても足りないくらいなのだろう。夜も明け切らないうちから支度を済ませ、夕方まで走り回ってくる。
 家族、神官、巫女たちの中でもとりわけ忙しいのは、老神主とその跡取り息子だった。二人は厄払いだか無病息災の祈願だか、冴え冴えとよく通る声で朝から代わる代わる祝詞をあげている。それ自体はそれほど長い時間ではない。むしろその後に語る縁起とそれに因んだ話しが意外に長い。
 そんなに丁寧に対応したところで、聞いた話をどれだけの人間が神社を後にしてから覚えているだろう。時間も気力も割くだけの価値があるのか。
 どれだけ記憶に残るか、価値を見出すのかはこちらの決めることではない。理解できない奴は一生かかったって理解できっこない。
 いつか聞いた言葉が頭の隅に浮かび、溜め息が溢れた。そういうものなのだろうか。考えてみたところで、彼には納得できそうにない。
(暇があるとロクなこと考えないな)
 溜め息を重ね、気分を変えようとすっかり見慣れている庭に視線を巡らせる。
 元旦から三日頃までは、神社の方から流れてくるあまりにも賑やかな気配と雑音に辟易し、みなが動き出す明け方近くにはそっと家を抜け出していた。霜が降りるほどの気温の中、居心地のいい場所を探すのは楽ではなかった。しかし、それでも毎年、どこかしらマシな場所は見付けられるものだ。
 そんな手間も一昨日までの話し。参拝客の落ち着きはじめた昨日からは、比較的のんびりした時間を過ごせるようになってきた。
「早く落ち着いてくれると助かるんだけどな」
 思わず本心が口を突く。どちらにしろ、彼には特にこれといった役目があるわけではない。辛うじてあげるならば、留守番役といったところか。
(………っても、頼まれてるわけじゃないんだけどな)
 老神主の家族は意外に、自宅の防犯に関して大雑把なところがある。流石に神社の敷地との境目にはインターフォンのついた鉄製の門扉があるとはいえ、鍵をかけていること自体が少ない。
 神社の一部ともいえるこの場所で悪さをするのはどんな人間でも流石に気が咎めるだろう、というのが老神主の考えだ。
 心理としてはわからなくもない。けれど古い時代のように、本当にそう言い切れるだろうか。賽銭泥棒がいるくらいだ。これだけ人の動きがある時期ならば、不心得者が混じっていないとは言い切れない。危なっかしい、というのが彼の本心だった。
 自分が世話になっている家が空き巣に入られるというのも、どうも寝覚めが悪い。
 結局彼は、一日のほとんどの時間をのんびりと過ごしつつ、聞きなれない物音がすればすぐに様子を見に行けるよう、耳をそばだてて過ごしていた。一見矛盾しているようだが、彼のずば抜けた聴力はそれを矛盾にしない。
 とりあえず、と内心ひとりごちて、彼は庭の一角、芝生を敷き詰めた場所に足を向けた。ごろりといかにもだらしなく横になり、気温の下がりはじめる三時頃までを昼寝の時間と決め、大きな欠伸を一つ落とした。

 その晩。
 境内の方も家の中も、どちらも静かになった頃。彼は老神主の自室を訪れた。老神主は未だに、天板にヤカンを乗せるタイプの石油ストーブを使っている。ヤカンの湯が沸く、シュッシュッという音が聞こえるのを確認し、彼は襖を器用に開けて隙間から体を滑り込ませた。
「やっぱり来たね」
 彼が訪れるのを予測していたらしい老神主は、ストーブの火を見つめたままのんびりとした口調で迎えた。
「外は寒かったろう。温まってから寝るといい」
 黙って隣まで行き、座る。どちらも口を開かず、ストーブの火を見つめる。静かな沈黙が降りた。昼間の喧騒が嘘のように静まり返った外と、ヤカンの吹き上げる蒸気の音だけが部屋にある。静かで穏やかな時間を、しばし楽しむ。
 老神主はすっかり寝る支度を済ませており、部屋の隅には布団が敷かれている。数日、ほとんど休みなく働いていた所為で、流石に老神主の表情には疲れの色が伺えた。
(早く寝りゃいいのに)
 ちらりとそんなことを考えるが、彼にそれを率直に伝える手段はない。しかたなく立ち上がり、老神主の膝に乗りじっと見上げる。
「なんだい、お前まで早く休めと言いに来たのか?」
 困ったように目尻を下げ、彼の小さな頭を撫でる。耳を伏せ、目を細めて撫でられるまま皺だらけの手の体温を受け止める。
(わかってるなら、さっさと寝りゃいいだろ)
 視線にめいっぱい主張を込めるが、老神主は穏やかな笑みのまま視線をストーブから外さない。
(なら、実力行使な。じいちゃん)
 胸中に宣言し、膝から降りるとその寝間着の端を軽く咥える。力はそれほど加えず、布団に向かって引っ張った。
「こらこら、引っ張るんじゃないよ」
 ようやく振り返り、悪戯を止めるように上げられた手を避け、再び端を咥え直す。また布団まで引っ張る。そんなやりとりを数回繰り返したところで、ようやく老神主が折れた。
「わかったわかった。寝ろというんだろう? ストーブ片付けたら寝ような」
 よっこいしょ、と漏らしながら立ち上がり、ストーブの火を消す。枕元の灯りをつけ、部屋の電気を紐を引いて消した。
 そして一緒に布団に向かう。
「入るかい?」
 上掛けをめくり、彼の入るスペースを空けて待つ老神主の隣に当たり前のように向かい、彼は背中を向けて丸まった。
「お前がいると温かくていいな、ブチ。……おやすみ」
 欠伸混じりの声を頭の上に聞きながら、彼も目を閉じる。
(明日くらい、朝ゆっくり寝てろよな)
 そんなことを考えたのを最後に、彼もまたゆるゆると眠りの中に落ちていく。明日はようやく日常が帰ってくる。そんな実感をぼんやりと感じながら。

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