刻のむこう 終章

 数日後。隆太郎は有栖川の依頼に対する正式な報告書を送り、玉条凪の件も様々な雑事を済ませたところで改めて晴楼の部屋を訪れていた。
 二人の間にあるのは暖かい湯気を上げる紅茶。どうやら晴楼は隆太郎の淹れる紅茶をすっかり気に入ってしまったようだ。ティーカップを取り上げながら、晴楼はどこか満足そうな溜息を落とす。その様子に笑い、隆太郎は今回晴楼の自室を訪れた用件を切り出した。
「俺さ、しばらく外にいようかと思ってるんだ」
 隆太郎の言葉に僅かに眉を上げただけで、なんでもない事のように晴楼は頷く。
「そうか。あの方の宿っておられる少年がそろそろこちらへ来る頃だしな。その方が良いかも知れん」
 告げ、晴楼はティーカップを両手で包み取り上げた。その様子を眺めていた隆太郎は、小さく笑いを漏らす。晴楼が怪訝な色を含んだ視線を、無言のまま隆太郎に投げた。それに笑いながらかぶりを振り、放り出すように隆太郎は言葉を続けた。
「紅茶の入れ方は杵椙に教えたでしょ? 晴さんの相手もね。引き継ぎも色々済ませたし。新しい棲家は有栖川さんとこの桐生氏のご指名であの屋敷に決定だし。物理的な距離は遠くなっちゃうけど、案外近い場所に落ち着けそうだからさ。心配しなくて良いよ? 晴さん!」
 悪戯を含ませた言葉を投げ、隆太郎は楽しげに晴楼の反応を待つ。片眉を上げてみせ晴楼は鼻で笑った。その反応が期待外れだったのか、隆太郎は面白くなさそうに笑ってみせる。
「距離は関係なかろう? やることはどこにいても同じだ」
 しかつめらしく言葉を投げ出し、晴楼は紅茶を喉に流し込む。小さく、どこか幸せそうな溜息を落とし真っ直ぐに隆太郎の目を見詰める。ちらりと唇を舐め言葉を続けた。
「あの方をお守りする為ならば、私は何でもやる。それが礼を失し、罪になることであっても、だ」
 告げた晴楼の脳裏に浮かぶのは、未だ友崎総合病院に入院中の玉条凪の姿。そしてその中で再び眠りについた彼の本当の主だ。
「俺もっ!」
 短く言葉を投げ出し、隆太郎は晴楼に悪戯っぽい笑みを投げた。一息に紅茶を干し、早速立ち上がる。
「じゃあ俺、準備あるからまたね」
 軽い調子で手を振り、隆太郎は晴楼が頷き返すのを肩越しに確認した。そのまま晴楼の自室を後にする。
 すっかり春の気配が滲みはじめた廊下を軽い調子で進みながら、隆太郎は窓に切り取られた空へと視線を投げた。静かな廊下にも、生命活動のはじまりを予感させる庭にも穏やかな時間が漂っている。たったそれだけの他愛も無い事実が、不思議と心地良く隆太郎の意識を刺激する。彼らの望む、本当の意味での安息はまだ遠い。しかし、それに向けて突き進む為の力は確かに手に入れた。それを胸中に確認し、隆太郎は自らに笑ってみせる。
「さぁて。これからが本番だもんな。俺もいろいろ頑張りますかーっっ!」
 言葉を放り出し、隆太郎は自室へ向けて歩調を僅かに速めたのだ。

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