疑似恋愛

 ザァー………
 昼間であるにもかかわらず薄暗かった。雨の所為だろう。朝から降り続く雨が視界を薄暗く曇らせていた。
 人気の少ない湖の堤防。
 一台のセダンが緩やかに停車した。ドライバーは若い女。助手席には同年代か、少し上の若い男だ。カップル………とはまた違った、せいぜい友人程度の関係だろう。
 セダンは、少し迷うような沈黙を挟みエンジンを停止した。小さくエンジンが振動し完全に沈黙する。
 その揺れを身体で感じ取りながら、女はアップにしていた髪を解いた。するりと流れる髪は僅かに癖がついている。ほっそりと華奢な肩のラインが長い髪に隠され、余計にその印象を強くした。
 男は、女の仕草を無感動に眺めやり逡巡する間をおく。関節の目立つ指がドアノブに伸ばされた。ロックを解除し女も同じく車外へ出る。
 粒の大きな雨が全身に降り注いだ。
 女は愛車にロックをし、キーをジーンズのポケットに突っ込むと先に歩き出した男に続く。
 男の隣に並び、女は目を細めて空を見上げた。
 二人の手に傘は無く雨の成すがままに全身を濡らす。顔や身体を伝う雨の感触はいっそ、焦点の外れそうな思考を現実に繋ぎとめていた。雨粒は、容赦なく全身を包んで伝う。しっとり濡れはじめた髪が頬を撫でた。
「どうして今日、ついてきたんだ?」
 不意に、ぽつりと呟きが男の唇から零れる。視線は無数の雫に叩かれる湖面を見詰めたままだ。疑問というよりはむしろ、ただ唇を突いて零れたその言葉は周囲の空気に溶ける寸前、女の耳に届く。
「………そんな気分だったのよ」
 女の唇が囁く。雨をシャワーのように浴びながら、黒目がちの女の目が男を振り返った。髪が水気を含み艶を増す。額から顔、顎のラインをなぞる雨粒が『女』を意識させる。
「……………そっか」
 呟き男は視線を足元へと落とした。自嘲にも似た感情が唇を掠める。目ざとく女はそれを見つけるが、あえて口にはしなかった。
 不意に訪れた沈黙に、二人は意図せず浸るのだった。
 シャツも、その下のTシャツも。ジーンズも。全身が雨にすっかり包まれた頃、男が言葉を落とした。
「………帰らないか?」
「いいわよ」
 お互い視線を合わせることなく、言葉を落とす。
 セダンまでの僅かな距離を並んで歩きながら、男は女に手を差し出した。女の手が車のキーを取り出し、渡す。
 緩慢な程のゆるやかな動きの後、セダンは雨に濡れる湖を後にした。

 沈黙の支配する車内に、エンジン音だけが静かに響いていた。
 男は正確なドライビングで湖から離れて行く。女は視線を前に固定したまま、流れる景色を無感動に眺めていた。
 不意に、男がウィンカーを右に出す。
「寄り道?」
「少しだけ」
 男の言葉に頷き返し、女は僅かにシートを倒した。
「………好きにすれば?」
 しばらくも走らないうちに辿り着いたのはモーテル。
 無言のまま二人はセダンを停め、部屋へ向かった。
 雨に濡れ、冷えた身体にその熱はあまりにもリアルだった。

 眠るように閉ざされた女の目をぼんやり眺め、男は掠れた低い声で問う。
「………どうして今日、ついてきたんだ?」
 吐息を抑えながら、女は掠れた声で応じる。
「………そんな気分だったのよ」
 と。

 ささやかな、眠りの時間。
 一人の女を諦める為の手段に、男は別の女を抱く。
 一人の男を忘れる為の手段に、女は別の男の腕に眠る。
 嘘で作られた、偽の感情。
 ………擬似恋愛。

#小説

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