眠り
微かな寝息が薄らと流れるピアノの音色と戯れ、部屋の気配を穏やかなそれへと色付かせていた。わずかに開かれた唇は、その奥に穏やかな体温と安堵を包み込んでいるようでひどくやさしい。
(宝物って………きっとこういうものよね?)
落ち着いた若草色のソファで俯せに眠る幼い宝物を眺め、彼女は純粋な幸せを噛み締めるように微笑んだ。いつまで眺めていても見飽きることのない宝物は、この部屋から一歩でも出れば例え一瞬でも気を抜くことのできなかった彼女の癒しそのもの。この宝物を守る為に、その手に抱き続ける為に、彼女は考え付く限り全ての手を尽くしてきたのだ。その為に彼女自身がどれほど傷付くことになったか知れない。
けれど、今の彼女に後悔はなかった。後悔などするはずがない。今、こうして幼い宝物をその腕に抱き穏やかさと愛しさの溢れる部屋にいることができるのだから。
安堵と満たされた幸せを吐息に滲ませ、彼女はそっと彼女の宝物に触れた。手の平を通して伝わる温もりは、これが現実なのだと彼女に再確認させてくれる。
今でも時折痛む胸の奥は、眠りの中にある宝物によってその度毎に癒され昇華されていくのだ。
(今なら負けない。誰にも負ける気はしない………)
胸の内で確認し、彼女はそっとソファから立ち上がる。手の平から温もりが遠ざかるのを寂しいとは感じたが、そろそろ夕飯の支度をしなければならない時間だ。メニューは決めてある。
彼女は夕食の席で見られるであろう満面の笑みを想像し、ゆっくりとキッチンへ入って行くのだった。