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広島時代の私        

 広島時代の私、それは社会人一年生のスタートでありました。
 とは言っても、ものすごく狭い社会への船出であったのであります。
 なぜ、ものすごく狭い社会かと言うと、まず私たちは、盲学校と言う所で、小学1年生から、最後の高等部専攻科2年の終わりまで、狭い三千坪の世界で過ごします。
 学校も寄宿舎もすべて、一つの囲われた塀の中にあったのです。
 そこを卒業すると、学校の先生の紹介で、視覚障害者の経営する治療院に、住み込みとして、就職するのです。
 私はここで役10年、務めました。
 最初は体力作りです。
 まずは、腕立て伏せと腹筋の運動、それに、壁に向かって逆立ちです。
 これを何日か続けたのちに、親指の訓練です。
 柱を揉んだり、畳を押したり、そして、治療室の空いているベッドを、親指を使って揉んで行くのでした。
 もちろん、手はパンパンに腫れましたよ。
 ある程度体ができてきたら、院長さんを試験台にして、マッサージをします。
 もちろん、同居していた従業員と、揉み合い越して、練習もしましたよ。
 そうやって、3ヶ月の使用期間を経て、実際にお客さんを揉んで、お金をいただく事になるのです。
なぜ、私たちが狭い世界で暮らしているのかと言うと、ほとんどの場合、私たちは、視覚障害者の経営する治療院に就職します。
 そして、周りの従業員も、ほとんどが視覚障害者で、更には、同じ盲学校卒業生の先輩後輩と言うケースがほとんどなんですね。
 なのである意味、普通の社会にはなかなか溶け込めなくなっているのかも知れませんし、無防備だし、騙されやすい、あるいは、虐待を受けやすい環境に置かれているのかも知れません。
その事については、また後で、別にゆっくりしっかりと書いて行きたいと思っております。
 私はここで、役10年間務めました。
 特に悩まされたのは、お金の問題です。
 これについても、しっかりと書いて行きたいと思います。
 本日は、お読みいただき、ありがとうございました。
 またよろしくお願いします。

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