参謀本部とは何だ?
皆さまこんばんは、弓削彼方です。
今回のお題は、軍事学に関わる話で「参謀本部」のお話をしたいと思います。
この話はリアルタイムで質問を受けられるように、ライブ配信で行いましたので、お時間がある方はアーカイブもご覧下さい。
最初の30分だけ見れば、要点を押さえられます。
では、この記事だけを読んでも理解できるように解説して行きましょう。
参謀については説明不要だと思いますが、念のために説明しておくと、司令官が作戦を実行するために、専門的な助言をしたり、補給計画を作ったりと頭脳面でお手伝いする役職です。
今回の話では、特にドイツ式・プロイセン式と言われる参謀本部について説明しました。
そもそも参謀本部とは何か?
その名の通り参謀達の総本山です。
時代と国によって多少の変化はありますが、概ね次のような組織です。
一番上に参謀総長と言うまとめ役が居て、そこから二つに分かれます。
一つは今回の主題である参謀本部そのものです。
参謀総長の次に、参謀副長とか副参謀総長と言う人が居て、さらに担当ごとに作戦局とか情報局とかに分かれて局長がまとめ役になります。
各担当の仕事は概ね次の通りです。
・作戦局
実際に戦争になった時の、開戦から敵が降伏するまでの道筋をまとめた作戦計画の作成を担当する。
・情報局
敵の情報を集めるための盗聴・暗号解読・スパイ活動を担当する。逆に防諜のために敵国のスパイの取り締まり等も担う。
・後方局
作戦局が作った戦争計画が実施できるように、補給計画の作成や動員計画を担当する。
・戦史研究局
過去の歴史や戦史のまとめや整理を担当。そこから発展して新戦法の研究や若い参謀の教育等をする事もある。
他にも細かい部局は沢山ありますが、主だったものはこんな感じです。
参謀本部では、将来戦う事になる敵国の情報を集め、いざ戦争になった時の作戦を計画し、その計画を担保する補給や通信の問題に取り組み、参謀の質向上のために教育を施す。
これを常に行っています。
参謀本部のもう一つの流れが、実戦部隊です。
「あれ?実戦部隊は将軍が取り仕切ってるのでは?」っと思った方は正解です。
実戦部隊の指揮は将軍達が執ります。
その将軍の補佐をするために、参謀本部から派遣されるのが参謀長と部下の一般参謀です。
特に参謀長は将軍のすぐ近くに居て補佐をしますが、参謀総長に直接連絡を取る権限を持っています。
ですので、彼らは外に出向しているだけの実質参謀本部のメンバーと考えて差し支えません。
こうなっている理由はこの後説明します。
こうやって参謀総長をトップに、参謀本部と実戦部隊の両方に参謀達を配置した参謀ネットワークを作る。
この参謀ネットワークこそが、参謀本部を含めた参謀達の組織なのです。
長くて疲れましたか?
ここまでで大体半分です。
疲れた方は、残りは明日読んでも構いませんよ。
次の話は、そもそも何で参謀本部が生まれたのか?と言う話です。
皆さまの時代から数百年前の戦争は、それほど大規模では無く、一人の君主や将軍が戦場の全てを見渡して指揮を執ることが出来ました。
戦国時代とか、中世ヨーロッパで何とか騎士団同士が戦っていた時代を想像すれば分かりやすいと思います。
もう少し時代が進んで、今の規模の国同士の戦いになると、戦争の規模も大きくなり、一人の将軍では全ての戦場の指揮を執れなくなってきます。
そこで例えば、全軍を第一軍・第二軍・第三軍に分け、各軍に将軍を一人置き、それぞれに国境の北側・中央・南側の三方向から敵国を攻めさせると言う風に変わりました。
ただこれだと、現場の判断はそれぞれの将軍の判断だけに任せる事になります。
そうなると例えば、第一軍の将軍は戦争に勝つために敵の首都を目指し、第二軍の将軍は敵の野戦軍を倒して敵国の一部を占領するだけで満足し、第三軍の将軍は敵の野戦軍を倒したら勝った気分になって国境まで引き上げてしまうと言う具合に、バラバラな行動をとります。
こんなバラバラな行動をしてたら、兵の補充と再集結を済ませて反撃してくる敵軍に各個撃破されて逆に負けてしまいます。
そして実際にそうなったのが、ナポレオンが率いるフランス軍に負けたヨーロッパの国々です。
これではいけないとなって軍の改革を行ったのが、プロイセン王国です。
プロイセン軍は次の二つ改革を行いました。
・委託命令
今までは将軍が一々部隊長に「お前の部隊は右から進んであの敵を倒せ」とか「君の部隊は左からこの川のここを通ってあの丘を占領しろ」とか、事細かに指示を出していました。これは命令を受ける側は楽ですが、予想外の事があった時に臨機応変な対応が取りずらかったのです。
そこで「あの敵を倒せれば手段はお前に任せる」「あの丘を占領出来るならやり方は君に任せる」と言う風に、委託命令を出すようにしました。
これで、天才と言われたナポレオンが来ても、その場は上手く交わして、ナポレオンが居なくなったら目的を達成するために行動すると言う、臨機応変な対応が取れるようになりました。
・共同責任
ここで参謀の話出てきます。
実戦部隊に配置された参謀長は、将軍が決めた作戦に共同で責任を負います。もし将軍が(参謀本部で決めて置いた作戦計画と違いすぎる作戦を決めて)全体の方針と違う事、例えばまだ攻める時期なのに退却をしようとしたら、参謀長は「私はその考えに反対で責任を取れません」と言って参謀総長に直接見解を伝えると言う告げ口を出来るようにしました。
そうなると、今までは自分の裁量で好き勝手やってきた将軍も「ちょっと考え直すから待って」となるわけです。
これで各軍は離れていて連絡が取れなくても、参謀本部であらかじめ決めて置いた作戦計画通りに全軍が行動するので、全軍の足並みが揃いやすくなりました。
この改革を行った結果、プロイセン側はナポレオンが相手でも臨機応変な対応で交わせるようになり、ナポレオンはどんなに頑張っても一戦場で一軍の指揮しか執れないのに、プロイセン側は北・中央・南の三軍が協調して進んで来るので、いずれナポレオンは囲まれて全滅か首都を落とされて敗北となるわけです。
このナポレオンに勝つための改革から、参謀本部が生まれました。
この改革を行ったのは、シャルンホルスト・グナイゼナウ・クラウゼヴィッツと言う有名人達です。
クラウゼヴィッツは、あの名著である戦争論を書いた人ですね。
これが1800年代の最初の頃の話です。
その後1800年代の中頃には、モルトケと言うすごく優秀な人が参謀総長になり、このモルトケ率いる参謀本部が、対オーストラリア戦の普墺戦争、対フランス戦の普仏戦争で大勝利を収めて、世界中に参謀本部と言う組織が広がっていきます。
残念ながら、この参謀に強い権限を持たせたドイツ式・プロイセン式の参謀本部は廃れて、現在の軍隊では殆ど見られません。
それは今回の記事では説明を省いた、この方式ならではの悪い部分も沢山あったからです。
明日、他にも説明したかった細かな部分をまとめて「参謀本部のおまけの話」と言う記事を書いて、その中でこの件についても説明したいと思います。
長い記事にお付き合い頂きありがとうございました。
やはり、文字で説明するよりも話で聞いた方が理解しやすいと思いますので、読んで興味が湧いた方は、最初にあった配信のアーカイブをぜひご覧ください。
それではまた、次回お会い致しましょう。
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