軍001-1

参謀本部のおまけの話

皆さまこんばんは、弓削彼方です。
今日は、昨日の記事では書き切れなかった参謀本部のこぼれ話の解説です。
参謀本部の記事の本編はこちらをどうぞ。

■フランスにもあった参謀制度
ナポレオンはプロイセン式の参謀本部に敗北しましたが、実はフランスにも参謀制度そのものはありました。
ただ、戦争指導はナポレオンのような生まれ持っての天才が行うものと言う認識があったので、その役割も少し違っていました。
フランスの参謀はナポレオンが作戦を立てやすい様に、味方の兵力の配置を覚えておく情報整理の係・命令書を作成する書記の役割・前線からの連絡係と言った秘書的な役割が多かったのが特徴です。

■フランス式とプロイセン式の違い
大国であるフランスは、大きなミスさえしなければ戦争に勝てるのが当たり前でした。
ですのでフランスの参謀は、ナポレオンが作戦を決めるために必要な補佐だけをやればよかったのです。
それに対して小国プロイセンは、小勢でフランスに勝つためには上手い作戦で劣勢を補うしかありませんでした。
そこで、将軍と一緒に作戦を考える作戦参謀が特に大事にされたと言う違いがありました。

■日本に伝授されたプロイセン式参謀本部
時代が明治時代に変わり、文明開化で列強諸国に追いつこうと必死になっていた頃の日本にも、モルトケ率いるプロイセン参謀本部の名声は届いていました。
今までフランスを参考にしようとしていた日本の陸軍は、この時期にドイツに倣う事を決意、モルトケに要請しメッケル少佐と言う優秀な参謀を教師に招きました。
メッケルからプロイセン式の教えを受けた日本陸軍は、以後第二次世界大戦に敗北するまでプロイセン式参謀本部の良い点も悪い点も引き継いでいくことになります。

■プロイセン式参謀本部の致命的な欠点
ドイツ・プロイセン式(以後ドイツ式と呼ぶ)は「小国が大国に勝つために作戦参謀を特に重視した参謀本部」だったと説明しました。
日本もこの血を受け継いでいましたので、いつの間にか参謀長や作戦参謀は、軍隊内で副指揮官のような地位になっていきました。
本来、命令を出す権限は指揮官のみが持ち得る権限でしたが、いつの間にか、なんとなく参謀の言葉は指揮官の意向を汲み取った指揮官が口には出せない命令として扱うような悪い習慣が出来てきました。
その悪い習慣が第二次世界大戦の頃には悪い結果として出てしまいます。
例えば、指揮官は「戦争になったら大事だから、敵を見かけても相手が発砲するか、明らかに国境を侵してこない限りは戦闘は禁止」と命令を出します。
これが軍隊内での正式な命令です。
ですが、この指揮官の弱腰な態度が気に入らない参謀が、隷下の部隊の部隊長の所に行ってこう言う訳です。
「指揮官はああ言う命令を出したけど、日本男児が敵を目の前にしてみすみす逃したりはしないよなぁ?」みたいな事を。
すると部隊長は「ああ、公的な命令では戦闘禁止だけど、相手に隙があればやっていいと言う事か。参謀は大っぴらに言えない指揮官の気持ちを代わりに伝えに来たんだ」っと受け取るわけです。
その結果、指揮官の思惑と違う結果になり、戦線は大混乱となるわけです。
この様な悪い方向での独断専行と言う欠点が出てしまったので、第二次世界大戦後の主要国では、ドイツ式参謀本部を採用している所は見られなくなりました。

■現在の参謀本部
ドイツ式が廃れたことで、現在はフランス式に近いものがほとんどです。
大統領や首相の諮問機関として、「聞かれたら答える、助言する」の姿勢を第一として、間違っても勝手に計画を進めるような事は無くなりました。
また、実働部隊の方でも参謀は他の幕僚と同じ司令部の単なる一員として扱われています。
軍全体でも、司令官が不在の場合は別に決められた副司令官が指揮を執るようにし、参謀が独断で司令官の代わりを出来ないようにしました。

以上で参謀本部のおまけの話は終わりです。
軍事に関する話は各国とも機密事項ですし、今も色々と改革が進められて新しいものになっているでしょう。
その事を考えれば私の知識が必ずしも最新で正しいとは限りませんが、参謀本部と言うものを知って貰うきっかけとして役に立ったのなら幸いです。


文字を読むだけでは分かりにくいな」と思う方もいる事でしょう。
これらの内容は配信の時にも解説しましたので、アーカイブを見て話しとして聞いて頂けるとより理解しやすいと思います。
それでは、また次回お会いしましょう。


次の記事


いいなと思ったら応援しよう!