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本気を出せない病
皆さまこんばんは、軍師の弓削彼方です。
この話は言葉で表すには少し曖昧で難しくとりとめもないものになりますので、何となく雰囲気だけを感じ取って頂ければ十分です。
「本気を出せない病気」みたいな状態なんです。
ここで言う本気とは例えば蜂が飛んで来て、身の危険を感じて猛ダッシュするとかそう言う一時のものの話ではありません。
もっと長期間全力で物事に取り組むと言う状態を「本気」と考えています。
ですので本気を出せないとは、転じて「わざわざ本気を出さなくても問題なくやれる」状態がずっと続いてしまうことです。
この本気を出せないにも理由がいくつかありますが、主なものは二つ。
一つは自分の才能より下回る仕事を割り当てられて、才能の全てを出し切る必要がない場合。
もう一つは自分でも不足していると思って出した成果でも、周りが十分として問題なく物事が進む場合です。
皆さまに馴染みの深い学業で例えるなら、小学校の低学年のテストで簡単すぎて100点満点が当たり前みたいなのが前者、中学高校のテストで特に予習と復習をしなくても毎回70点ぐらい取れて、良くもないけれども再試を受けるほど悪くもなく何も言われないと言うのが後者だと思います。
特に後者の方の本気で取り組まずにそこそこでやっても何も不都合がないと言うのが分かってしまうと、無理して本気を出して疲れるようなことをしたくないと思うのが人間です。
なので、自分でも「本気を出せばもっとやれるのに」と思っていても本気を出す機会が失われていきます。
こんな本気を出すまでもない状態や、本気でやらなくても特に不便があるわけではない状態が続くと、あえて本気を出そうと思わなくなるわけです。
あと数少ない例外として、自分がどれだけ本気を出して頑張ってもそれが認められない状態が続くと、本気を出すことが馬鹿らしくなってしまうことがあるでしょう。(試験で自分だけが満点を取っても親は他の子も同じなんだろうと思って特に褒めもしない時とか)
このように本気を出す必要性を感じなくなると、いずれ「本気を出す必要もないか・・」と常に思うようになってしまいます。
私は恐れ多くも皇帝陛下にお仕えする身でありますので、任務に関しては過不足なく完璧に行うよう心掛けています。
しかしプライベートなことになると、そこまで頑張ってやらなくてもいいかなと思うようになってしまったのです。
私は新しい智恵を取り入れるために日々本を読むようにしていますが、昔ほど熱心に一日中ずっと読み続けると言うことが少なくなりました。
すでにある程度の智恵が付いたと言うことを差し引いても、昔のような知識への貪欲さが欠けていると言うか、先にお話した本気になれないと言う状態が続いています。
それで通って無事生きているのだから良いではないかと言う意見もありましょう。
また常に100%の力を出し切って生きれば良いと言うものでもないことも承知しています。
それを考慮しても本気を出すことが無くなり、いざと言う時に本気を出せなくなってしまうことを恐れるのです。
今は本気を出さなくても問題なく過ごせているが、いずれジリ貧になる未来が来るのではないかと言う形の見えぬ焦りがあるのです。
っと言うところまでが、私が最近漠然と思っていて心のどこかで燻っている不安みたいなものです。
もしかしたら年を重ね経験を積めば、何事も本気を出さなくても十分にこなせるようになるのが普通なのかもしれません。
また自分では「もっとやれるはず」と思う自惚れが、本気で取り組めば何かを成し得るはずだから、まだ本気を出してないのだと勘違いさせているのかもしれません。
そこがまだはっきりと掴めていないことも、この不安のような焦りのようなものを抱えている原因でもあるのでしょう。
今は気になっているこう言う考えも、時間が経てば「さして思い悩むほどではなかった」と思える小さなものなのかもしれません。
思い切って完全にのんびりする期間を作るか、逆に本気を出さなければいけない状態に自分を追い込めば、それが切っ掛けとなり考えがまとまるのかもしれません。
なかなか人の心と言うものは難しいものであります。
このように書き残せば、少しは心の整理が付くかもしれないので書き残してみました。
また後日自分で読んで、心の整理に使いたいと思います。