為になる話

「無知は罪なり」は誰に対する罪か?

皆さまこんばんは、弓削彼方です。
本日は一つ、皆さまに新しい知識を身に付けて頂こうと思って記事を書きます。

※令和2年11月5日の配信で詳しい説明をしました。
 お時間があればアーカイブもご覧ください。

よく聞く「無知は罪なり」と言う言葉。
本来この言葉は「無知は罪なり、知は空虚なり、英知を持つは英雄なり」と続きます。
今回は理解しやすい様に、「無知は罪なり」の部分だけに絞ってお話をしましょう。

さて、無知であると言う事は誰に対する罪か?
分かり易い例を挙げれば、法を知らずに法を犯してしまった時。
これは間違いなく無知の結果であり、周りの人や社会に迷惑をかけてしまいます。
確かに周りの人や社会に迷惑をかけるのは良くない事で、これが罪であるとも言えますが、本筋から見れば些細な事です。
だとすれば、誰に一番迷惑をかけるのか?
その答えは自分自身です。

法を知らずに法を犯し、その罰を受けるのは誰か?
間違いなく自分でしょう。

別な例を挙げれば、食材があるのに料理の知識が無くて料理が出来ず、ずっと腹を空かせたままで困るのは誰か?
自分です。
病気や怪我をした時に、応急処置程度の知識でもあれば予後が良好なのに、何もせずまま放置し、症状を悪化させてしまい困るのは誰か?
自分です。
知識を学び技術を得ればもっと収入の良い職に就けるのに、そうせずに給料に不満を抱えたまま今の仕事を続けて困るのは誰か?
自分です。

全部自分に返ってくるわけです。
ですので、「無知は罪なり」とは誰に対する罪かと問われれば、「自分自身に対する罪」となるわけです。
学ぶと言う事、知恵を身に付けるというのは、自分自身に対する罪を犯さないためなのです。
そう考えると全て自分の為になるのだから、学んで知識を得ることは悪い話ではなく、むしろ得する話だと言っても過言ではないでしょう。

確かに人間には時間の限りがあります。
ですので、世の中の知恵や知識を全て得るわけにはいきません。
だから自分に必要な優先順位の高いものや、一番興味のある分野から学んで行けば良いです。

無知は罪と言う言葉の正しい意味に納得できたでしょうか?
もし納得出来たらならば、今日から少しずつでも学んで行きましょう。
「何を学ぶべきか?どう学ぶべき?」を知りたい人は、皆さまの世界の偉大な先人である、福沢諭吉の「学問のすすめ」を読まれると良いでしょう。



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