炬燵で寝てた
何かちょっと読んで、考えることって大事だなーと思ったんだけど炬燵で寝てたら書きたかったこと飛んだ。キーボードカタカタやってたら思い出すかもしれないから書き始めてみる。
読書についての記事を読んだのだ。何がどうって話か覚えてないけど、本を読んだら考えることが大事なんだなと思った。というか思考するという行為が大事、かな。
思い返せば、そういうことあんまりしなくなったと思う。学生の頃はしてた。どうでもいいことをぐるぐる考えていたような気がする。学生、というかスマホを持つ前。スマホを使うようになったら暇な時間が無くなった。そういう時間をSNSや動画鑑賞に溶かすから。日頃、情報を受け取りすぎて一つ一つ咀嚼する時間がないというのもある。とにかくゆっくり思考することがない。よくない。ぼーっとする時間を作ってぼーっとしながら色々考えたいけど、そういう感覚自体忘れてしまった気がする。空っぽだ。
本をゆっくり読むっていうのも大事。私の場合は純文学は書いていることを理解しながら読みたくて読むのがますます遅くなる(ゆっくり読んでるわけじゃないな)。早く読める人がうらやましかったけど、別にそうじゃなくてもいいかなと思い直したり。ちゃんと読んでれば早さなんてどうでもいいんだよねきっと。
……考える。考えてるかなあ今。
音楽聞きながらぺぺぺぺーって書いてるこれ。
もっと深く沈みたい。底についちゃったなあ、もう駄目だなあっていうところまで沈みたい。何でも大事にしたい。のに、あんまり得意じゃないみたい。どうでもいいことが多い。
Ⅹのトレンドを見てると「夫婦別姓」とか「専業主婦」とか「障がい者」とかそういうのについて皆主張したいことがあるみたいじゃん。ああいうのどうでもいいんだよね。該当することもあるんだけど、そんなにこだわり無い。不当な扱いされたことも無いし、困ってることも無いし。そういう嫌な思いしてる当事者になったら考えざるを得ないんだろうけど、今はありがたいことにのうのうと生きられてるから。運がいいだけかもしれないけど楽観的というか。でもどうでもいいって思考停止するのはよくないなと思う。興味は無くても自分の意見くらいは持ってたほうがいい。いつか小説の題材にするときが来るかもしれないしさ。どうでもいいからって切って捨てがちなんだよな。よくない。
文章を書くにしてもそう。ぺーって書いてそれでいいの。ちゃんとやろうとするときりが無いじゃん。それが面倒。適当にやってるとさ、自分のガチってそのレベルに設定されるよな。本当はもうちょっと出来た筈なのに(少なくとも自分はそう思ってる)、「適当」に慣れちゃうともうそれ以上飛べなくなる。硬い天井が出来ちゃって、容易には破れないんだよ。破りたいよね。破り方を探すところから始めなくちゃいけないけど。
どうでもいいの極みなんだけど私噛み癖がありまして。よく夫と子どもに噛り付いては嫌がられている。気づいたときには自分の中にそういう欲求があって、原因を調べてみると色々あるみたい。その中でも「甘えたい」というのは結構あるなと思った。自覚は無いけど。基本人には甘えたいでしょ誰だって。
同時に「噛まれたい」っていうのもあって。それも随分嫌がられるんですけども。痛いのがいい、というとマゾっぽいけどさ。甘い痛み?みたいな。歯形が残るのもいい。唯一無二のプレゼントもらった感じ。
変態みたいじゃん何これ。はず。
しかもさ、柔らかいところじゃなく硬いところがいいの(まだ喋る)。筋肉と骨がちゃんとあるとこ。思いっきり噛んでも大丈夫なとこ。そういうのない?人じゃなくても噛み応えのある食べ物が好きとかさ。案外いるでしょ。甘えたい欲求の表れらしいですよ。へへっ。
あと最近人の文章が気になってね、あーこの人はこういうタイプねふんふんとか思いながら読んでるんですけども。心情がしっかり書かれているのが好きだと思った。だから自分もそういうふうに書こうと思った。そうしたら納得できる気がする。酔えそうな気がする。好きだと感じたことは取り入れないとね。好きのごちゃまぜが自分らしさになっていったらいいなあ。
寝起きのぼやーっとした感じで書いてしまった。
大したこと考えてねーなあわはは。おやすみ。