きゅん
きゅんは大事。きゅんがないと生きていけない。私は読書家ではないので本がなくてもどうってことはないが、きゅんがないと辛い。人生の彩り、装飾、潤い。それがきゅんだ。ときめき、夢、浪漫、萌えだ。つまり原動力。
きゅんがない生活なんて考えられない。心が枯れていく感じがする。
私にとっての主なきゅんは恋愛関係と恋愛感情である。感情の中には色々含まれていますね。その中でも嫉妬・執着・独占欲が大好物です。
でも病んでいるのではなく天然。生きていたらまあおなかすくし何か食べるよね、くらいの感じで愛し甘やかす。はい尊い。想像したらはい尊い。最近これって溺愛ものじゃない?と気付いたのだが、まあ皆好きよね。私も好き。人類皆溺愛が好きなはず。
いやもうね、好きになるのに理由なんて要らないと思う。一目ぼれとか雰囲気とか気配とか直感とか何でもいいと思う。恋愛ものでキャラクターの心情を考えてると、「いや、私はこいつの顔を見ただけで好きになった」「この位置にキャラデザ書こうと思ったけどここにいるっていうことでもう好き」って結構思うわけですよ。私がね。キャラではなく私が思う。だからキャラだってそう思うだろう、みたいな。恋愛に必要なものは足すことではなく引くことだと思っている。設定をシンプルにしていくと好きという気持ちが協調されるような気がする(何言ってんだ)。
何から何まで楽しいよね。キャラのちょっとした雑談からセッまで何でもかんでも妄想してひえええたのしいいいいってなってる。そうするとなぜか夫にまで優しくなれて夫婦仲もますます円満になるからやはりきゅんは大事。
公募に向けて書いてたときは色々難しく考えることが多かったけど、何も考えず心の赴くままにと割り切って書くとめったの(めっちゃ楽しい)だし、上手く書けるようになりたーい!と思うので不思議だ。そう、多分執筆においても私の原動力はきゅんなのだ。私には私のきゅんがあるんだから人には人それぞれのきゅんがある。でもその感度とか大きさとか濃さはまたみんな違うんだと思う。私はハマったものがあると、食事、トイレ、買い物、運転(危ない)、入浴、その他すべての時間、意識を半分妄想の世界に飛ばしながら過ごす。なので夫によく「今違うこと考えてたでしょ?」と言われる。案外この熱中ぶりって珍しいんじゃない?と思った。本当に気持ち悪いくらい妄想していて、同じネタを何度も擦る(けど、擦っても擦っても良い)。これ作品に出来ないかな?そうしたら楽しいんじゃないかな?
この妄想を嘘偽りなく曝け出すことこそが正しいアウトプットだと思った。
きゅんが欲しい人にきゅんを届けられたらいいなと思う。
私も欲しいし。ていうか書いててもきゅんなの。
きゅんにプロットなど要らない(あってもいい)。こうなってほしいという願望と欲望だけあれば物語は紡がれていく。
ちなみに私の学生時代のあだ名は「きゅん」でした。感情のほうの意味ではないけど。